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「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話) ブログトップ
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東京猫物語 第七十九話ー⑮ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑮

私と麻雀屋さんは黙って食後のお茶を飲んでいました。
残飯を使い回した女性会員が、イヤホンで聴いていた競馬中継の結果を他の会員に大声で伝えています。
「はずしちゃったわ。来週は固いから本命一本買いよ」
どうやらこの会員は熱心な競馬ファンのようです。
「走れなくなった競争馬が、どうなるか知っている?」
麻雀屋さんが「うんざり」という顔で私に囁きました。
引退後に安穏と余生を送れる馬はごく少数だと、私も聞いています。
「あの人はこの会の顔ではないのよ」
私たちの会話を聞き付けた若い女性会員が、にこりともせずに話し掛けて来ました。
「心に思うことがあるでも無く、気の利いた趣味も無い。動物を通じてしか人とお付き合いできないのよ。他に友達もいないし、休日はすることも無いから競馬場か、ここへ来るしかないの。たいして用も無い時だって、わざわざ車で一時間も掛けてここへ出掛けて来るのよ。私たちと一緒にされては困るわ。迷惑なのよね。私たちが見ていないと、素性も分からない人にだって平気で猫を渡そうとするのよ。お薦めですよ、とか言って。バーゲン・セールじゃないのだから、勘弁して欲しいわよ」
若い女性会員はそれだけ言うと、私たちに背を向けてスーパーマーケットの方へ向かいました。
「どうも勝手が違うのよね。ここは。それに、さっきから気になっていたのだけど、春とは言え直射日光に長く当たっていると暑いくらいでしょう?ほら、あの猫、舌出してヘー、ヘー、肩で息をしているわ。端っこのケージには日除けも無いし」
麻雀屋さんはきじ虎仔猫の入っているケージを指差しました。
(続く)

以上
管理人
2015.10.10

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第七十九話ー⑭ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑭

食事の後にはフライドチキンの骨が、小山盛りになってテーブルの上の雑紙に積まれてありました。
「こうして食べた鶏の骨を見ていると、猫は助けても鳥は私たちのお腹の中かと、妙な気持になるわね」
麻雀屋さんがまた小声で囁きました。日頃、はきはきと話をする麻雀屋さんが、どうも今日は周りに遠慮する場面が目立ちます。

何と答えたら良いのか分からぬまま、私は思い付く言葉を並べたてました。
「動物愛護団体だからと言って、皆がベジタリアンでなければならない訳ではないしね。食物連鎖さ。人間は動物性タンパク質が必要なんだ。普段はバナナや木の実を食べているチンパンジーでさえ、急に動物性蛋白質を欲すると、他の種類の小さい猿などを狩って食べることもあるしね。animal welfareとかAnimal rightとか、人によって温度差があるのは当然だよ。ブロイラーのフライドチキンを食べても罪ではないでしょう。彼らが今迄に多くの猫の為に労を執っている善行とは別物ですよ」

私の話を聞き終えて、麻雀屋さんは視線を地面に落してぶっきらぼうに言いました。
「免罪符ね」
麻雀屋さんの表情からは、私の意見に対する賛否を読み取ることはできません。私とて信念を持って述べた訳ではなく、麻雀屋さんから何か違う意見を聞けるのではないかと期待した迄です。麻雀屋さんはこの件についてそれ以上言葉を継ぐことはありませんでした。
(続く)

以上
管理人
2015.9.27

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑬ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑬

殆どの猫たちが小皿の魚フレークを食べ終えた時、四十歳前後の女性会員が後片付けを始めました。その女性会員は、食の細い仔猫が食べ残したマグロフレークの小皿を、食べ終えて未だ物足りなさそうにしている別の仔猫のケージに移しました。食欲旺盛な仔猫は、追加して貰った「残飯」を綺麗に食べ尽しました。

「ねえ。ちょっと。気を付けないと」
麻雀屋さんが血相を変えて私の肩を揺さ振りました。
「モモちゃんのケージに他の仔猫たちの食べ残しを入れられないようにね」
いろいろな所から集まって来ている知らない猫同士なのに、大丈夫なのでしょうか。
同じ食器で飲み食いすることによって、ウイルスが経口感染する心配もあります。
「分かっているって」
モモちゃんのケージに残飯が入れられないように、私たちはしばらくの間片付け女を監視していました。

昼食前にも「かわいい」と言っては、手も洗わずに猫たちを片端から抱き上げている女性会員がいました。服や手に付着したウイルスが、猫に感染する心配もあります。
「モモちゃんは馴れていないから」と、麻雀屋さんがその会員に断っていたのは道理に叶っています。里親会場に落ち着いて座れる場所は無く、皆は各自テントの隅に敷いた段ボール席とか、自分の車の中で昼食を済ませました。私も麻雀屋さんも、お弁当を綺麗に残さずおいしく頂きました。
(続く)

以上
管理人
2015.9.19

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑫ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑫

会長さんが真っ先に自分の焼き肉弁当と、皆で摘む為に買ったフライドチキンの詰まった大きな紙パックを開けました。焼き肉とフライドチキンの匂が、ぷんと辺りに漂います。
「アーン」
俄に、猫たちの中からそわそわして啼き出す子が出てきました。
「ピー ピー」「ミイー ミイー」
喧騒がケージからケージへ伝播し、大きな合唱になりました。

会員たちは猫たちの要求に応え、猫缶のマグロやカツオのフレークを紙の小皿に取り分けました。会員たちがケージを順繰りに回って猫たちに食事を与えると、合唱は徐々に止んでしまいました。
仔猫たちは既に離乳を済ませる迄に成長していて、魚フレークをおいしく頂いています。
私は一匹の黒い仔猫のケージの前で膝を折りました。黒い仔猫は一心不乱に口を動かし、無我夢中でマグロフレークに貪りついています。
「ンー、ウナ、ウナ、ウニャ、ウニャ」
黒い仔猫は、喉の奥から鼻に抜けるような高い声を発しています。
おいしくて嬉しくて、湧き上がる感情が声になっているのでしょう。
「健啖。健啖。実に逞しい食べっぷりね」
私の背後から肩越しに、麻雀屋さんが顔をほころばせて見守ります。
「本当に。美味いって言っているようにも聞えるね」
私がそう言うと、麻雀屋さんは首を縦に二度大きく振りました。
(続く)

以上
管理人
2015.9.6

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東京猫物語 第七十九話ー⑪ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑪

モモちゃんの新しい飼主も見つからぬまま、昼食の時間になりました。
会長さんが募金箱の中から千円札を数枚鷲掴みにして、スーパーマーケットへ駆けて行きました。
数分後、会長さんは両手に白いポリ袋を提げて戻って来ました。会長さんはポリ袋の中の商品をテーブルの上に順々に並べ始めました。中華弁当、鮭弁当、焼肉弁当、あんパン、ジャムパン、ドーナツ、フライドチキンの紙パック、大きいペットボトルのウーロン茶とオレンジジュース、紙コップ、等々。テーブルはこれらによって占領されました。

「私たちも交代でお昼御飯を食べに行こうか?」
私が麻雀屋さんに昼食の話を切り出したところ、会長さんが来てお弁当とお茶を勧めてくれました。麻雀屋さんがポシェットから財布を取り出すと、会長さんは黙って片手で遮りました。
会長さんは参加者全員にお昼御飯と飲物を配りました。
「どうするの?」
「あれって、猫たちの為に善意の人たちが募金したお金じゃないの?」
配られたお弁当に目を落とし、麻雀屋さんが私に尋ねました。
「どうするの?と言われても。もう、お礼を言って受け取ったしなあ。せっかく御馳走してくれるのに、人の財布の中身迄聞けないよ。失礼だろう?募金箱には自分のお金だって入れてあるかもしれないし」
私はそう答えました。
麻雀屋さんも和やかなその場の雰囲気を察し、それ以上何も言いませんでした。
(続く)

以上
管理人
2015.8.23

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑩ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑩

さて、里親会が始まったばかりの頃は会長さんを始め会員たちがたくさんの来場者の応対に追われていたものの、今ではぽつぽつ二、三人が足を止めるだけとなりました。
私と麻雀屋さんに周囲を観察する余裕が生まれました。若い娘が預けたサバ虎仔猫に目を遣ると、同じケージの中の一回り大きい白黒斑の仔猫がサバ虎仔猫を威嚇しています。
「カーッ」
サバ虎仔猫より半月位年長でしょうか。
白黒斑の仔猫は何度もサバ虎仔猫を威嚇し、時折猫パンチを繰り出そうとしています。
サバ虎仔猫は小さい体をいっそう小さく竦めて、ケージの角でじっと耐えています。
里親会の会員たちは、仲間内の話に興じていてこの状況には気付いていません。自分たちが保護した猫ではないので、関心が無いのかもしれません。
「あれではサバちゃんがかわいそう」
麻雀屋さんが会長さんにサバ虎仔猫の窮状を告げました。会長さんは予備のアルミケージを組み立て、サバ虎仔猫を新設したケージの中に移してくれました。
(続く)

以上
管理人
2015.8.15

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑨ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑨

出端(ではな)を挫かれるような混乱もありましたが、里親会が始まってからかれこれ一時間が経過しました。新しい飼主が決まった猫は、看護助士おばさんが連れて来た仔猫だけです。
桜が散ったばかりだというのに、陽射しを直接浴びていると暑い程の陽気です。
仔猫をキャリーバッグに入れて訪れた若い娘が、会長さんに相談を持ち掛けています。若い娘は里親会への飛び入り参加を求めている模様です。長々と話をした後、会長さんは若い娘の参加を認めました。会長さんはキャリーバッグの中からサバ虎の仔猫を引き出し、大切そうに両手で包むと別の仔猫が一匹だけ入っているアルミケージに手早く移しました。
飛び入りの若い娘は「生後二ヶ月」と説明していますが、発育が遅れているのか、サバ虎の仔猫は心持小さいように思われます。
若い娘は猫の譲渡に関する一切をこの団体に一任し、キャリーバッグを置いたまま会場を後にしました。若い娘は昼過ぎに会場に戻り、この日の内に新しい飼主が決まらない場合、仔猫をまた自宅へ連れて帰るつもりです。

若い娘と入れ替りに、痩せた背の低い五十歳前後のおばさんが一人で来場しました。そして、先程太った中年女に対応した若い女性会員に話し掛けました。
「猫が欲しいのよ。前に飼っていたけれど。この前、引越の時に置いて来たから。また、こちらでも新しい猫を飼おうと思って立ち寄ったのよ」
会長さんがすくと立ち上がり、おばさんの所へ飛んで行きました。
「動物は終生飼養だぞ。最後迄大切に育てないなんて、最低な人だね。捨猫は犯罪だぞ」
会長さんは癇癪を起して怒鳴り散らし、おばさんを追い返してしまいました。
会長さんが怒るのは至極当然です。しかし、盲目の羊を門前で追い返すことは、啓発の機会を逸してしまうことにもなります。勿論、聞く耳を持たぬ輩は五万といるでしょう。しかし、単に無知蒙昧からくる不適切飼養者である場合、感情のままに怒鳴り付けて追い返すだけでは何にもなりません。
(続く)

以上
管理人
2015.8.8

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑧ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑧

黙って彼女たちの会話に耳を傾けていた会長さんが、突然立ち上がって会話に割って入りました。
「奥さん、我々もこれだけたくさんの動物を抱えている状況で、ほいほい猫を引き取る訳にも行かないのだよ。里親に貰われる迄に経費も掛かるしね。どうだろう、私がこの仔猫を預かって里親探しをするから、少しミルク代を援助してくれないかな?」
会長さんの提案を聞いて、太った中年女は急に黙り込んでしまいました。そして、しばらくの間思案した後、事の成り行きを見守っていた息子を振り返りました。
「他で頼もうか。当てが無い訳じゃないから」
先程迄の元気はすっかりどこかへ消え失せ、消え入るような小声です。
息子は「何のことだか分からぬ」という風体で首を傾げ、ただ沈黙を守っているばかりです。
太った中年女のふて腐れた表情からは、いかにも金を払いたくないという気持が見て取れます。しかし、その一方でなかなかこの場を立ち去ろうとしないことから、「この辺りで折り合った方が得かしら」と迷っているようでもあります。

「これ以上ごねてもどうにもならない」と判断したのでしょう。太った中年女は「ミルク代」と言って、五千円札一枚を会長さんに渡しました。それから、仔猫の入った段ボール箱を三十歳前後の女性会員に託しました。
「奥さん、何とかやってみますよ」
会長さんの言葉に、太った中年女はにこりともせずに無言で頷くと、息子を連れて足早に会場から立ち去りました。
愛護団体は犬や猫が好きだから、何でも面倒を見てくれると錯覚している人たちは結構いるものです。こんなに小さな仔猫を預かって里親に出す迄の間、ミルク代、ワクチン他、全てを五千円で賄えるかどうか、猫を飼った経験がある人なら分かるはずです。
(続く)

以上
管理人
2015.7.25

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑦ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語 
第七十九話 里親会弐ー⑦

会長さんの長い話が終った時、会場の端では若い女性会員が何やら大声で口論を始めていました。相手は髪もくしゃくしゃの、見るからに品の無い太った中年女です。太った中年女は高校生位の息子を連れています。恐らくお父さん似なのでしょう。細く背の高い端正な顔付きの少年です。
太った中年女は、底の浅い四角い段ボール箱を両手で抱えています。その中にはやっと目が開いたばかりの一匹の仔猫が震えています。
「何でボランティアなのに捨てられた猫を引き取らないのよ!」
太った中年女はすごい剣幕で若い女性会員に向かって怒鳴っています。
「こんな小さな猫を家の前に置いて行って。どうしょうもない馬鹿がいるよねえ。かわいそうにねえ」
どうやらこの太った中年女は、自宅の前に捨てられた猫を引き取って貰うつもりでやって来た模様です。
「捨てられたにしてはいやに綺麗じゃないの。お宅の飼猫が産んだ仔猫じゃないの?」
若い女性会員は、猫の引取を頑なに拒絶しています。興奮している太った中年女に対して、三十歳前後の女性会員が落ち着いた口調で提案しました。
「引き取りはできないけど、里親会に連れて来れば飼主探しには協力できますよ」
何度かそのような遣り取りが繰り返され、とうとう痺れを切らした太った中年女が言い放ちました。
「あんたの所で引き取ってくれないの。それじゃあ、この猫は元の場所に置いて来るかなあ。死んでしまっても仕方無いよねえ」
まるで脅迫です。太った中年女は、仔猫を捨てた奴を馬鹿者呼ばわりしておきながら、今、まさに自分がその馬鹿者になろうとしていることに気付いていません。
(続く)

以上
管理人
2015.7.18

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑥ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー⑥

(会長さんのお話はまだ続いています)
「とても落胆したよ。我々の「里親募集」行為を「差し上げる」行為と簡単に同一視してしまう、ど田舎新聞社のジャーナリズム的鋭敏さにはね。何の疑問も抱かなかったのだから。
「差し上げます」の項目には、例えば、不用なベッドや電化製品等の差し上げ物も一緒に掲載されるかい? 「差し上げる」という言葉によって抱く概念は、新聞社、読者、猫ボランティアの間で微妙に且つ不都合に対立するところがあると思っているよ。里親募集と言いつつ我々は差し上げないし、貰う資格の無い人を選ぶのが重要な作業な訳よ。しかも相手を傷つけないようにね。拒否もするし、或いは一旦は譲渡した猫でも、里親が我々との約束に反した場合は取り返しもする。 不用なベッドや電化製品は、取り返したりしないだろうけどね。「差し上げます」の項目に告知を出して置きながら、犬や猫の譲渡を拒否した場合、相手から「じゃ、何で広告出すんだ!」と抗議されかねないよ。それぞれの事情を考慮したら、新聞社は動物に関する我々の里親行為を「差し上げます」と言う枠に押し込まない方が無難でしょう?
「差し上げます」という枠は、里親に出す人への強制にも働く。個人で告知を出した人なら、相手から抗議された場合、気の進まない人にも上げないとも限らない。「犬、猫と同じ」と言われて問題なら、人間の側の里親という言葉を別のより良い言葉を探して発展的イメージ創りに力を入れるべきではないのかな?里親という日本語は、ある特定の団体や人々に帰属するものなのですか?その人たちに遠慮して、新聞社が言葉の使用を大衆に自粛させようと圧力を働かせることは、不当以外の何物でもないさ。言葉は民族の財産であり、特定の団体や人々の専有物ではないからね。
我々は「犬、猫も人間と同じ」という境界を目指してこの活動をやっているつもりだ。今、我々のボランティア活動は、成果という点でも確実に実を結びつつある。それは犬に限ってだが、行政施設で殺処分される数の減少により明らかだ。こうした成果も市民の動物に対する意識が変わらなければ得られないけれどね。何気なく使っている言葉が意識の表れなのだよ。良くも悪くも言葉が武器なのさ。我が会においては、「上げる」「貰って下さい」は禁句。簡単に上げればぞんざいに扱われ、捨てるのを躊躇わない。不妊手術もせずに産ませた仔犬、仔猫を厄介者、困り者として、庭先でくれるとか貰うとかいう遣り取りからは、これら動物たちの地位向上は実現出来ないのだよ。多方面にペットを初め、あらゆるものに里親の言葉を使わないで欲しいと要望するなんて。こんな要望が可能なのかね?また、こんな要望を受けて何か変だなぁと疑問を持たない、ど田舎新聞社の言語感覚には驚き呆れてしまうよ。特定の人たちが「里親」という言葉を独占しようと企むことの暴挙、我々からすれば逆差別です。向上を目指す者に、「お前ら畜生はいいんだ、下にいろ!」という感覚の表出だからね。こういう感覚が動物虐待を生んだとして何の不思議があるかい?虐待が起こるとその異常さを正義の側から報道するのもジャーナリズム。事件が起きた時に警鐘を鳴らすだけではなく、日々の活動の中で悪に発展する芽を摘んでおくことが必要ではないのかね?言葉が蔑ろなら行動も蔑ろですよ。 新聞の掲載欄はボランティアか、営利かの区別で十分かと思います。区別ができなければ、「差し上げます」の項目に入れられないのだから。 里親という言葉を動物や物に使うことが不適切とするのは、エゴイズムだと思いますよ」
(続く)

以上
管理人
2015.7.11

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー⑤ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語 
第七十九話 里親会弐ー⑤

(会長さんのお話は続きます)
「児童相談所の話では、確かに以前から「里親」を動物や樹木に使用しない働き掛けが見られ、「穿った見方をすれば、今回の新聞社に対する要請には誇張、作り話があったのではないか」とね。「県の里親と児童は多くはなく、苛めの問題があれば新聞社に訴える前に児童相談所の耳に入るはずだ」と言っていたよ。児童相談所は、里親という言葉の扱いについての見解は出していないよ。苛めではないが、「子供さんの中には動物と一緒かと気にする子がいるから、使わないように気を付けて欲しいと言われたこともある」そうだ。「実際にそのように思っている子がいないとも限らない」とね。でも、このような話題をオープンにすると、むしろ何とも思っていなかった子供の中から「なるほど。そう言われれば、動物と一緒では嫌かな」と思う子が出て来るかもしれない。本当に苛めがあるなら、言葉云云よりも早急且つ慎重に教育現場と家庭でのフォローが必要だろう?苛める奴は何でも口実にして対象を探すから、「里親」を犬猫に使わなくしても、別に苛めの口実を探すだけじゃないかな。言葉のせいにして濁しているのは本筋ではないさ。ある教育委員の方は「学校現場では、児童を分け隔てる言葉は決して使わない」と仰っていたよ。「教育現場では里親里子などとは言わずに、皆、児童、生徒、学生です」とね。私が思うに、「子供の中には気にする子もいる」のが問題だとしたら、犬猫と同じに使われることよりも、親、子に対して里親、里子という親子関係を差別する言葉を廃止することこそ適正な方向ではないかな。親、子でいいじゃないか。教育現場では使えない言葉こそ差別用語さ。あなた、里親という言葉を児童福祉法に基づく里親制度との関連で使用する以外に、動物、物、樹木等に使用すべきではないと思うかい?大体、新聞社が言葉の使用について個人や団体の意向を受け入れ、それを広告主たちに半ば強要し、言葉の普及や抑制に関与することが正しい姿勢と言えるのかな?ど田舎新聞社の姿勢が誤っているなら、他のマスコミ等を通じて猛省を促したいところだよ」
(続く)

以上
管理人
2015.7.4

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東京猫物語 第七十九話ー④ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー④
(里親会弐は今回で4回目、飽きない程度に分割公開しております)

その時、会長さんが私たちの後ろを通ったので、どうして猫の譲渡会を里親会と呼ぶのか、私は質問しました。
「皆が使っていたから、我々もそう命名しただけだよ」
会長さんは笑って答えてくれました。
「来月から新聞に載せる告知には里親会の名を使わないで欲しいと、新聞社の広告担当者から言われているんだ。新聞の告知欄の見出しも「里親会」を止めて「差し上げます」に変更するのだと」
会長さんは少し苛立って眉間に皺を寄せ、事の経緯を私たちに説明し始めました。

「我々が里親会の告知を掲載依頼している、地元のローカル新聞社から連絡があってね。今迄ペットの譲渡に関する新聞社の見出しは「里親募集」としてあったものを、来月より「差し上げます」に代えるのだと。広告主の広告本文に迄制限を加えるものではないと言っているけれど、見出しが与える印象は我々の活動趣旨に誤解とか誤った印象を与えるので、私がメールで抗議したんだ。すると、新聞社の室長の名で返事があってね。何でも直接のきっかけは人間の里親制度と関りのある団体から、ペットに「里親」という名称を使うと、里子たちが「犬・猫と同じだ」と言われ、学校で苛めに遭うのだそうだ。「犬猫に里親という言葉は使わないで欲しい」という動きは、全国的に広まりつつあるみたいなことを言っているらしい。その団体は、何年も前から全国的に「里親」という言葉を人間以外に使用しないように働き掛けている様子だが、多くの人たちは取り合っていないのが実情で、未だに「里親」という言葉はいろいろな所で使用されているよ。でも、ど田舎新聞は彼らの要請を言われるがままに受け入れてしまったよ。新聞社は広告本文の内容において「広告主の方々に言葉を強要するものではない」と説明している一方で、本文に「里親募集」という言葉を使って掲載を依頼した一部の広告主たちに対して、「里親という言葉は使えない、差し上げますにするように」と誘導しているそうだ。

もっとも、里親会という言葉の使用を強く主張する方には、従来通り本文の内容は「里親募集」で掲載を受けているがね。県や市町村の教育委員会、児童相談所にも電話で聞いてみたよ。「本当に里子が犬猫と同じだと言われて苛められているのか?」ってね。でも苛めの事実は確認できず、新聞社に詳細情報を開示するように申し入れても明確な回答は無かったよ。新聞社は言われたことをそのまま聞き入れただけだってさ」
会長さんは両腕を天に伸し、大きく一呼吸しました。
(続く)

以上
管理人
2015.6.28

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十九話ー③ [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語 
第七十九話 里親会弐ー③

スーパーマーケットの開店と同時に押し寄せた冷やかしも含めて、里親会場は大人や子供、関係者たちでごった返しています。看護助士おばさんの仔猫に譲渡希望者が付いて交渉していたことに私たちは気が付きませんでした。
「始まって間も無いのに、もう素敵な飼主さんが決まりましたね」
「本当に良かったですね」
私と麻雀屋さんは、代る代る祝福しました。
「とても感じ好さそうな、いい人に貰われたわ」
看護助士おばさんは嬉しそうに笑顔で応えました。
それから、看護助士おばさんは「用があるから」と言って、私たちを残して会場を後にしました。
「その場では渡さないと思っていたけれど」
看護助士おばさんの背中を見送りながら、麻雀屋さんがぼそっと小声で呟きました。

「え?何のこと?何か問題でもあるの?」
私は麻雀屋さんに発言の真意を正しました。
麻雀屋さんは辺りを憚るかのように視線を左右に振り、私の問いに答えました。
「猫の譲渡の話を聞くと、知人縁者でもない限りは自宅へのお届けが絶対原則みたいよ。かわいがることが目的ではない人も来るし、とても飼えない人も来るから。猫を渡す前に希望者が実際にその住所に住んでいるのか、猫を飼える生活環境なのか、飼う意志は揺るぎないものなのか、よく確認する必要があるそうよ。その場で見て衝動的に猫が欲しいと申し込んでも、時間が経つとやっぱり大変だからいらないと、心変りする人もいるからね。よくいるらしいのよ。そういう人たち。物の遣り取りではないから、飼主候補は冷静に自分に向き合う時間も必用なのよ」
麻雀屋さんの話を聞き、私は少し不安になりました。
「この辺りの郊外から来る人たちなら、心配無いのでは?」
自分自身を無理に納得させるように、根拠の無い言葉が私の口から漏れました。
(続く)

以上
管理人
2015.6.20

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第七十九話ー② [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話 里親会弐ー②

会長さんは誓約書を示しながら譲渡に関する会の規則を慌しく私たちに説明しました。それから、モモちゃんが入っているケージを「できるだけ目立つように」と、L字型ケージ群の頭の上段に置いてくれました。
「誓約書」とは、猫を譲り受ける人が会の求める飼養上の約束事を「守ります」と誓い、署名して提出する書式です。
誓約する主な内容は次の通りです。
・終生飼養
・完全室内飼い(家の中だけで飼養)
・不適切な飼い方と会が認めた場合、速やかに猫を会へ返還すること
・予防注射の接種
・不妊・去勢手術の実施
・適宜、動物病院で猫に診療を受けさせること
・万が一猫がいなくなった場合、管轄する行政機関と会への連絡
・転居、猫の死亡時における会への連絡、等。

里親をまつ子猫.jpg

会場の猫たちの殆どは会員たちが保護した猫であり、保護主(会員たちは元親と呼んでいた)の「大切に育てて欲しい」との思いが込められています。仔猫たちが捨てられる問題は個人の家庭で繁殖されて飼いきれなくなった結果とも言えるので、不妊手術の実施を飼養に際しての絶対条件とすることは当然です。猫が生きている限り、最後迄飼養することも当たり前です。しかし、十年以上飼養する意味をよく考えてから猫を飼う人はどれだけいるでしょうか。養育費もばかになりません。食費、蚤除け、ワクチン、トイレ砂等、大きな病気や怪我が無くても年間十万円前後の費用が掛かります。終生の養育費用を総計すると、ちょっとした新車を購入する位のお金が必要になります。誓約書には「会が不適切な飼い方と認めた場合、速やかに猫を会へ返還する」義務が明記されてありますが、決して後でそのような事態が生じないように、譲渡する側は慎重に「里親」を見極めなければなりません。仔猫が大きく成長してから出戻って来ても、成猫に飼主を見つけることは、よりいっそう困難になります。
希望が叶って猫を譲り受ける人たちは、誓約書を提出して最後に若干の金銭を事務費として会に寄付します。寄付する事務費は本当に小額で、二回分のワクチン代金にもならない程です。

「何でもいいからと、ろはで猫を欲しがる人たちにはろくな奴がいない。有料にすることによって、ある程度希望者をふるいにかけられるからね。たった数千円の寄付すら拒む奴に、その後のワクチン接種だって期待できないだろう?まあ、踏み絵みたいなものさ。第一、無料で猫をほいほい渡しては動物の尊厳が軽んじられるよ」
会長さんは私たちに力説しました。
「なるほど」
麻雀屋さんと私が目を合わせて感心している丁度その時、看護助士おばさんの仔猫が新たな飼主「里親」に引き取られて行きました。
(続く)

以上
管理人
2015.6.13

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第七十九話 里親会弐ー① [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十九話:里親会弐ー①

日曜日の朝、私は猫町の雀荘に車で乗り付けました。
麻雀屋の年配の女性従業員さんと私が里親会に参加する段取りでした。
私たちはモモちゃんの入っているアルミケージを車の後部座席に積むと、早々に目的地に向けて出発しました。休日の朝、都心の道路は平日とは比較にならぬ程空いています。都心から郊外へ車は順調にすべり抜け、程無く里親会が開催される町に入りました。里親会の会場を提供してくれるスーパーマーケットの開店とほぼ同時刻、私たちはその駐車場に到着しました。

広い敷地の西側に一階建ての店舗が建っています。店は中規模で、主に食料品と日用生活雑貨を扱っています。空いている敷地は全て来店者用の駐車場で、優に乗用車200台は駐車が可能です。
北側と東側の隣地は、ずっと先迄畑が広がっています。
店舗の出入口は、道路に面した西側と南側の二カ所。里親会は店舗からかなり離れた駐車場北東の隅を借りて開催されます。何が行なわれているのか、店舗の出入口付近からではちょっと見には分かりません。
里親会の開催予定は、開催日の数日前に地元の新聞広告欄に告知されます。会の設立から既に五年を経て、里親会の存在は地元ではある程度知られているようです。駐車場の隅では里親会の会員と思しい人たちがテントを設営したり、猫のケージを組み立てたりしています。テントは二組。幌布天井付き四本足のアルミ製で、天井迄の高さは二メートル弱。ほぼ真四角のテントを二組並べると、乗用車一台分の駐車スペースになります。準備中であるにも拘らず、数人の来場者がテントの周りに集まっています。

開催前、搬入

「行ってみましょう」
停車させた車の中から様子を窺っていた私たちは、モモちゃんのケージを車から降ろして会場に歩み寄りました。人垣の中に看護助士おばさんが加わりました。
「あら、おはようございます。ここの場所、すぐに分かりました?」
挨拶もそこそこに看護助士おばさんは私たちを会長さんの所へ案内してくれました。それから手短に紹介を済ませ、モモちゃんを連れて来た経緯を私たちに代わって説明してくれました。看護助士おばさんの説明は、先日私が電話で会長さんに伝えた内容と寸分も違わず、私は何となくほっとしました。
「先日は夜分に失礼致しました」
「本日はお世話になります」
私と麻雀屋さんは、会長さんに軽くお辞儀をしました。
「遠い所、御苦労様です」
よく日に焼けた、小柄で細い体付きの男性は、笑顔で私たちを迎えてくれました。還暦を過ぎたばかりと聞いていましたが、歳よりもずっと若く見えます。
看護助士おばさんは自分の車に戻り、仔猫が入った小型のケージを手に下げて戻って来ました。仔猫は生後二ヶ月前後、薄い茶色と白色の虎模様です。
「近所の人が殖やしてしまって、お預かりして来た仔猫なの」
てっきり看護助士おばさんは私たちの為に会場に御足労頂いたのかと、麻雀屋さんなどは殊更に恐縮していましたが、看護助士おばさんの第一の目的は、自分で仔猫の里親を探すことでした。

看護助士おばさんは会長さんの指示を仰いだ後、手に下げているケージを他の猫たちのケージの隣に並べました。テント下には、大小のケージがL字型の配列で二段重ねに並べられています。ケージ数は計十一個、L字の頭がテント南側正面受付の長テーブルの方を向いています。どのような基準で分けられたのか、一匹しか猫がいないケージもあれば、三匹、四匹、猫が入っているケージもあります。多くは仔猫たちで、未だやっと離乳したばかりか、大きくてもせいぜいやっと生後三ヶ月程です。
里親会場には会長さんの他にボランティアの女性が四人、男性が一人います。また、私たちと同様の「飛び入り依頼者」と思われる若い女性が二人、姉妹なのか友人なのか、茶虎仔猫を連れて参加しています。
(続く)

以上
管理人
2015.6.6

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十八話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十八話:里親会 壱:

捨てられていたところを保護された猫たち、飼主が諸般の事情で飼えなくなった猫たちの為に、新しい飼主を探して譲渡する動物愛護団体の存在を私は看護助士おばさんから聞いて知りました。
看護助士おばさんの地元の方が主催しているという動物愛護団体は、猫町から電車で一時間程の郊外を拠点に活動しています。その団体は日曜日にスーパーマーケットの駐車場の隅を借りて「里親会」を開催しています。
「何?それ?」
「里親会」という聞き馴れない言葉に接し、私は看護助士おばさんに尋ねました。
「新しい飼主を探して猫を託すのよ。猫を連れて来て、飼育を希望する人たちとの面会の場を設けているの」
何度となく説明を繰り返してきたのでしょう。看護助士おばさんは簡潔且つ淡々と私の問いに答えてくれました。

その夜、私は看護助士おばさんから紹介された団体の代表者に電話を掛けました。
「猫の事でご相談させて頂きたいのですが」
私が用件を切り出そうとすると、甲高い声の男性がせわしそうに電話口に出ました。
「猫は預かれませんよ。保護している猫はたくさんいて、里親へ出す順番待ち状態なので。とにかく大変な状態ですから」
代表者は私の話をろくに聞かぬ内に、いかにも迷惑そうに早口でまくし立てて電話を切ろうとしました。
私は慌てて看護助士おばさんの名前を上げ、「御紹介頂いた者ですが」と告げました。すると代表者は急に丁寧で落ち着いた口調に変わり、自分がボランティアの動物愛護団体の会長であり、看護助士おばさんとは数年前から懇意であると話してくれました。私はモモちゃんの飼主を探すに至ったいきさつと、モモちゃんの色柄、大きさ等、身体に関する詳細を説明しました。
会長さんは、モモちゃんが不妊手術もしないで飼猫から殖やした仔猫ではないことを私に確認しました。
「必ずしも飼主が見つかるとは限らないけれど、次の日曜日の里親会に連れていらっしゃい」
最後に会長さんは里親会への参加を快く了承してくれました。

翌日、私は麻雀屋さんたちに前夜の会長さんとの電話内容を伝えました。私たちは相談した結果、モモちゃんを雀荘の事務所に一時保護してノミ取り薬を付けたり、ブラシを掛けたりして、体を綺麗にしてから日曜日の里親会に連れて行くことにしました。
「早い方がいい」
翌日、私は自宅から持ち出した折り畳み式のアルミケージを雀荘の事務室に運び入れました。
昼休みに麻雀屋の年配の女性従業員さんが電気屋さんの倉庫からチイスケのキャリーバッグを借りて来たので、私と看護助士おばさんが付き添って魚屋さんの裏通りへ向かいました。
現場に到着すると、モモちゃんはすぐに見つかりました。首根っこを掴んでキャリーバッグに入れようと、私たちはモモちゃんの背後から近付きました。
異常を感じたのでしょう。モモちゃんは何時にもまして警戒していました。
モモちゃんは誰にも手を触れさせることなく、ビルの隙間へ逃げ込んでしまいました。
「仕様が無い。週末迄未だ日があるから、改めて出直しましょう」
私の提案に二人は頷きました。
一日間を空け、金曜日の夕方に私たち三人は再び裏通りへ向かいました。
運送屋のおじさんが私たちに気が付き、事務所から通りへ出て来ました。運送屋のおじさんはモモちゃんを日頃からかわいがっていて、飼主探しの趣旨に賛同しています。ぎごちなくモモちゃんに近付こうとしている私たちを尻目に、運送屋のおじさんはいとも容易にモモちゃんを捕まえ、キャリーバッグの中に収容してくれました。モモちゃんは人にシャーッシャーッ凄んだり、引っ掻いたりする猫ではありません。運送屋のおじさんにとって、モモちゃんの収容は手に余る作業ではありませんでした。
初めて自由を奪われたモモちゃんは、キャリーバッグの格子窓に鼻先を押し付け、「ミィミィ」不安そうに啼きました。
私たちはモモちゃんを雀荘の事務室に連れて行きました。モモちゃんが戸外へ飛び出さないように、事務室のドアは閉められました。
看護助士おばさんが慣れた手付でアルミケージの底にタオルを敷き詰め、モモちゃんをその中に移しました。モモちゃんはおとなしく看護助士おばさんの手に抱かれていました。看護助士おばさんは、底の浅い小さな真四角の紙箱をケージの隅に置きました。紙箱には細かい檜の砂が深さの半分程入れてあります。モモちゃんはじっと座って、看護助士おばさんの手が自分の傍を通るのを見つめていました。モモちゃんがトイレに行きたくなりそわそわしてきたところで、紙箱をモモちゃんのお腹の下に入れます。幸いモモちゃんは自分が寝そべっているタオルは汚したくないらしく、紙箱で一度小用を足した後は毎回トイレとして使ってくれるようになりました。狭いケージの中だから、トイレを使っただけかもしれません。トイレの躾歴が浅いモモちゃんですから、粗相してしまう不安は拭いきれません。
(続く)

以上
管理人
2015.5.30

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十七話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十七話:救急車? 

その日、私は午後一番に得意先を訪問する予定でした。
昼食を早々に済ませ、事務所を出て猫町駅へ向かいました。途中、猫町裏通りにある喫茶店の前を通ると、入口の横で事務服を着た若い二人の女性が花壇を見下ろしていました。
「ねえ、どうしようか?」
「うーん。そうねえ」
困った様子で相談している声が私の耳に届きました。
喫茶店の花壇は赤いレンガを積み上げた長方体です。底から上迄の高さは約八十センチ。横幅は一メートル、奥行は四十センチ程です。レンガに囲われた内部には柔らかそうな黒土が敷き詰められてあります。そこには黄金比翼檜葉の幼木が三本、等間隔に植わっています。

「何事だろう?」
私は通り越しざまに彼女たちの視線の先に目を向けました。
花壇の中にはあのモモちゃんが、ぐたっと手足を伸して横たわっていました。
モモちゃんの鼻先には緩いペースト状の魚フレークがあります。今し方食べたばかりで、消化されないまま吐き出されたのでしょう。
「具合が悪いみたい。吐いているし」
「死んじゃったらどうしよう」
二人の若い女性は顔を見合せて困惑しています。
モモちゃんは目を瞑り、伸びたまま動きません。
一体どうしたと言うのでしょう。私は足を停めて花壇の前に戻りました。
「モモちゃん」
私が呼び掛けるも返事はありません。モモちゃんは呼吸だけはしています。
お腹をゆっくりと膨らませたり、凹ませたりしています。
髭の生えているふっくらした頬は、時にピクピク痙攣します。
「猫に救急車を呼ぶという訳にもいかないですよね?」
横から覗き込んでいる私に向かって、女性の一人が真顔で問い掛けてきました。
「すぐに来られるかどうか分かりませんが、電話してみましょう」
私は上着の内ポケットから携帯電話を取り出し、猫町の麻雀屋さんに電話を掛けました。

幸いにも三人の内、年配の女性従業員さんがキャリーバッグを抱えて飛んで来てくれました。
「えー。本当に病院へ連れて行ってくれるの?」
「ですか?」
二人の若い女性は頻りに感心しました。
潜在する猫町の猫ネットワークは、未だ完成されたものではありません。
「今日はお客さんの足も鈍くてねえ。大通りでタクシーを拾うわ。いつものK病院さんでいいでしょう?」
麻雀屋さんは二人の若い女性には取り合わず、私に確認を求めました。
麻雀屋さんがキャリーバッグの扉を開けると、「何事か?」と税理士事務所の奥さん、運送屋の従業員さんたちが路上に出て来ました。
喫茶店の前の細い通りは、たちまちさわがしくなりました。
すると、突然モモちゃんがぱっちり目を開き、大きな欠伸をしました。
それから、モモちゃんは立ち上がり、背中をグーンとしならせて沈めました。続いて、モモちゃんは背中を山型に高く盛り上げ、前後の脚をまっすぐ立てて突っ張りました。
「あら?」
麻雀屋さんが包み込むようにモモちゃんに両手を差し出しました。モモちゃんは麻雀屋さんの両手の平をするりとかわし、花壇の上からアスファルトに飛び降りました。それから、モモちゃんは俊敏な走りで一気に通りを横切ると、駐車中の乗用車を潜り、向かいのビルの裏へ姿を消してしまいました。

「お騒がせして申し訳無い」
私は麻雀屋さんに謝罪しました。「猫の具合が悪い」と聞いたので、つい先入観が冷静な判断を妨げてしまいました。何時の間にか、二人の若い女性はいなくなっていました。人波もさっと退き、私と麻雀屋さんだけが残りました。
「なーんだ。よかったわ」
麻雀屋さんは、ほっと安堵して言いました。
「食べ過ぎた後、昼寝していただけなのね」
呼び付けられて徒労に終ったのに、麻雀屋さんは小言一つ言わずに雀荘へ戻りました。
(続く)

以上
管理人
2015.5.10

チョビ 雨の日
(公園の電話ボックスで雨をしのぐチョビ)

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十六話ー②  [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十六話ー② 猫町の魚屋さん(後編) 

魚屋さんの奥さんです。
立っている奥さんの右手には、あの紅梅の絵柄の白い小鉢がありました。
あの日、魚屋さんの奥さんがよそよそしい態度をとった意味を今、私は理解しました。
奥さんは私の腹の内が読めないままに、魚屋に求められがちな衛生観念を自ら主張していただけでした。奥さんは先程から私が仔猫を構っている様子を店の中から観察していて、私が猫好きだと分かって安心して話し掛けてきたのでしょう。
「なかなか、かわいらしい仔猫ですね。毎日いますね」
私は挨拶がわりに言葉を返しました。
「飼主はいないかもしれないわ。何かあげると、大概綺麗に食べて帰るから」
魚屋さんの奥さんは、つい先日この仔猫について私にこぼしたことなど全く忘れてしまったかのように話を続けました。
「店先に猫がいると困るでしょう?」などと、今更蒸し返す気など毛頭ありません。
「モモちゃん!」
既に名前まであります。
「モモちゃん!」
魚屋さんの奥さんは、仔猫をこちらへ呼ぼうとしました。

その後、半月程の間にモモちゃんは魚屋近辺のあちこちで見られるようになりました。その間、誰が仔猫に関っているのか、おおよそ判明しました。
運送屋の社長さんと従業員さんたち。塗装屋さん。喫茶店の従業員さんたち。麻雀屋の女性従業員さんたち。税理士事務所の奥さん。多くの人たちがふさふさの毛の仔猫のことを気に掛けていました。日中、仔猫の為にお皿に水を用意する店もありました。これらの皆さんは、仔猫の為に誰が何をしているのか、お互いに知りませんでした。毛艶も良く愛らしいモモちゃん。今の内にきちんと飼うことができる飼主の家で暮らす方がいいはずです。やがて仔猫は大きくなり、ふてぶてしくもなり、警戒心を持つようにもなります。病気にも罹ります。誰の猫でもないとなると、日頃仔猫をかわいがってはいてもどこまで手を掛けて上げられるものやら? 心許無い話です。
以前、チョビが入院した時のことが思い出されます。皆、少しはモモちゃんを助けてくれるでしょう。しかし、緊急事態とか、多額の金銭が必要になると、見て見ぬ振りを決め込む人が多いものです。私だってそうです。かわいい猫だからと言って、たまに路上で見掛ける猫の為にして上げられることは限られています。
「魚屋さんたちの同意を得た上で、モモちゃんに飼主を探そう」
こんなにかわいらしい仔猫です。きっと上手くいくはずです。
(続く)
チョビ 雨の日
(チョビ:雨の日は電話ボックスで休息)
チョビ 休息
(チョビ:塀の上で休息)
以上
管理人
2015.4.25

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東京猫物語 第七十六話ー① [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十六話ー①:猫町の魚屋さん(前編)

猫町駅と猫町公園を結ぶ直線の丁度真ん中辺りに、猫町に一軒しかない魚屋さんがあります。
居酒屋、コンビニエンスストア、和洋中の食べ物屋、雑居ビル等が建ち並ぶ街景色にあって、家庭の生活臭が漂う八百屋、魚屋等の専門商店は何軒もありません。
毎日夕方になると、猫町の魚屋さんは忙しくなります。猫町の奥様たちが夕飯のおかずを買い求めに来る他に、小さな居酒屋やバー等からの注文が入ります。年配の店主夫婦は御作りに配達準備、来客の対応にと、狭い店内をせわしく動き回っています。
私には縁遠かった猫町の魚屋さんは、この春からランチに魚弁当を販売するようになりました。
お刺身弁当、焼き魚弁当、煮魚弁当がメニューの三本柱で、中身の魚は日替りです。価格は手頃だし、魚好きの私には本当に好都合です。私は魚弁当を頻繁に買い求め、店主夫婦とは世間話を交す間柄になりました。

魚屋さんと隣の雑居ビルの間には、痩せた人ならぎりぎり通れる程の狭い隙間があります。その隙間を道路側から隠すように、魚屋さんの店頭端には清涼飲料水の自動販売機が置かれてあります。ある日、その狭い隙間の奥から、ふさふさの毛の仔猫が顔を出して辺りを注意深く窺っていました。生後二ヶ月程でしょうか。こげ茶色と黒色の縞が混じった毛色です。仔猫は人通りが途切れるのを待って歩道の端を通り、目と鼻の先にある角を左へ曲りました。私が後を追って確認すると、仔猫はまた左へ曲って魚屋さんの区画の反対側の裏通りへ駆けて行きました。
「あれ、あの仔猫。この辺で飼われているの?」
私は店先に出ていた魚屋さんの奥さんに尋ねました。
「困るのよね。うちは魚屋だから。ここに猫がいると、嫌いな人もいるからね」
奥さんはいつになく落ち着かない、よそよそしい態度で答えました。
奥さんは作り笑いともとれる笑顔を見せたかと思うと、いきなり眉を曇らせました。店先に仔猫がいたことで、何か否定的な言葉を投げ掛けられはしないかと、おどおどしているのでしょうか。鮮魚を扱う店故に「さもありなん」と、立場は理解できます。

その後、ふさふさの毛の仔猫は、魚屋さんと隣のビルの隙間からほぼ毎日愛らしい顔を見せるようになりました。そして、ビルの隙間の入口には、毎朝牛乳の注がれた小鉢が置かれるようになりました。出勤前、私が自動販売機の裏を覗くと、いつもの紅梅の絵柄の白い小鉢が同じ場所に置かれてあります。小鉢の底に牛乳が殆ど残っていない日もあれば、なみなみと注がれたままになっている日もあります。誰でしょう?仔猫の為に毎朝、誰かが牛乳を用意しています。店舗のすぐ脇なので、魚屋さんが気付いたらきっと注意するはずです。

私がこのふさふさの毛の仔猫を初めて見掛けた日から二週間が経ちました。
その朝、ふさふさの毛の仔猫はビルの隙間の入口に座って夢中で毛繕いをしていました。私はしゃがんで手を差し出し、仔猫に呼び掛けました。
「おいで」
ふさふさの毛の仔猫は毛繕いを中断し、躊躇いがちに私の方へ近付いて来ました。私は手の平を上に向け、仔猫の目線の位置にそっと差出しました。
「この人は大丈夫だろうか?」
ふさふさの毛の仔猫は右手で私の指先をチョン、チョンと二度ばかり叩くと、後方へ飛び退きました。そして、何かを思い出したかのように、狭い空間の奥へ引っ込んでしまいました。
「だいぶ人を怖がらなくなってきたのよ。人懐こいところもあるし」
突然、背後に聞き覚えのある女性の声。私はしゃがんだままの姿勢で後ろを振り返りました。
(続く)

以上
管理人
2015.4.18

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東京猫物語 第七十五話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十五話:猫町のスーパー

猫町のスーパーは大混雑です。
今日は多くの商品がバーゲン・セールの対象となっているからです。
勿論、猫缶にも安売り価格が付けられています。猫町のスーパーはそれ程広くはない、二階建ての店舗です。一階は食料品と生活雑貨、二階は衣料品、インテリア等を扱っています。

一階の入口奥、何種類もの猫缶が陳列されてある棚の前、私はあるメーカーの「総合食」の猫缶を手に取りました。缶の底にプリントされてある賞味期限は、未だ一年以上先です。この商品がバーゲン・セールの対象になることはめったにありません。私はその猫缶を三缶一包み、六包み籠に入れ、レジに向かいました。一階にはレジが三台あり、どの列にも四、五人が並んでいます。
私は籠の中身が少なそうな人たちが目立つ列の最後尾につきました。

たいして間を置かず、幼女の手を引いた恰幅の良いおばあさんが私の後ろにつきました。おばあさんが押して来たカートの籠には、野菜、パン、鮮魚のパック、トイレットペーパー等が山積みされてありました。腕に下げた私の籠の中におばあさんは猫缶を認めました。
「バーゲンだから、あたしも買おうかな。この猫缶はカツオが入っているのかえ?」
おばあさんは斜め前に右足を一歩踏み出し、私の顔を見上げて言いました。
猫缶はカツオが主で、ささみ入りとシラス入りの二種類があります。
「カツオは入っています。殆どカツオですよ」
私はおばあさんの問いに答えました。
すると、おばあさんはいかにも残念そうに溜息混じりに言いました。
「なあん。うちのこはカツオが嫌いだから、これは食わないにい」
おばあさんは話を続けました。
「前にまとめてカツオの缶詰を買って帰ったんだ。けど、全然食わなかったんだ。もったいないから、うちの者みんなで食べたんだ」
「それは猫用の缶詰でしたか?」
念の為、私はおばあさんに尋ねました。
「うんだ」
「うちの者とは、たくさん猫がいるのですか?」
私は再度おばあさんに尋ねました。
「いんやあ。一匹だけだよ。 じいさんと息子夫婦、孫たち。みんなで食べたんだ」
おばあさんは頭を振って平然と答えました。
私も猫缶は一通り味見したことがあります。全般に味が薄く、鳥のささみ、マグロ、カツオフレーク等。淡白な風味のものは、醤油やマヨネーズで味を整えればそこそこ食べられる代物でした。ブランドによっては凄く生臭い商品もあり、そういう猫缶はちょっと食べる気にはなれせん。人用の魚介類の缶詰と比べて猫缶の内容量は少なく、高くつくので代用品としては不適切です。また、ドライフードは他に例えようのない風味で、どの製品も人の口には合いません。敢へて言うなら、味の付いていないきな粉にチキンや魚の風味、油脂類を添加したかのようなものでしょうか。

このおばあさんはどのように猫缶を調理して食べたのでしょうか?
猫も喰わないまずい魚を「猫またぎ」などと申します。タラの一種を指して言う場合もあるそうです。飼猫も食べない猫缶の中身を皿に取り分け、家族で食卓を囲むおばあさんの様子を想像すると、少し愉快な気持になりました。
(続く)
笑う猫(笑う?猫)
以上
管理人
2015.4.12

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第七十四話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十四話:新しい飼主の適性

α社のお姉さんが、捨てられた黒猫の世話をしながら新しい飼主を探している折、たまたま猫町公園を訪れた若い娘が黒猫に関心を示しました。それから、若い娘は毎日黒猫の様子を見に来るようになりました。
α社のお姉さんは、知り得る限りの黒猫の情報を若い娘に伝えました。
また、黒猫の成長を見計って、不妊手術を施す予定である旨も伝えました。  

「飼うかどうか分からない」
若い娘はそう言いつつも、頻りに不妊手術の日程を気にしていました。
黒猫が生後約六ヶ月に育った頃、α社のお姉さんは動物病院で黒猫の不妊手術を済ませました。黒猫は公園に戻り、若い娘はα社のお姉さんからその話を聞かされました。

その翌日から黒猫の姿が見られなくなりました。同時に、毎日公園を訪れていた若い娘もぱったり現れなくなりました。
「あのこ(娘)が黒猫を連れて行ったのよ」
皆が若い娘を疑いました。
「お金の問題ではありません。もし、猫を連れて行ったのなら、一言断ってくだされば宜しいのに。どうしているか、とても心配ですから」
α社のお姉さんは語気を強めて言いました。
「手術代金をけちって人任せにする人だったなら、猫の幸せを優先してくれるとは限らないわ。なんだか裏切られた気持」
看護助士おばさんはそう言い終えると、口を真一文字に結びました。
(続く)
猫町公園
(猫町公園:再開発の末、今はありません)

以上
管理人
2015.3.28

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第七十三話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十三話:ムクムク無敗伝説

ムクムク
(ムクムク)
猫町公園の雄猫ムクムクは、この秋三歳半になりました。斑猫おばさんが不妊手術を受ける前に産んだ子です。ムクムクは生後約十ヶ月を過ぎた頃、看護助士おばさんが中心となって去勢手術を済ませました。
ムクムクは、α社のお姉さんがランクAに入れたお気に入りの猫です。
一度、ムクムクが一歳になったばかりの頃、飼猫として自宅に引取りを希望した女性が現れました。しかし、α社のお姉さんはその女性の飼主としての適正に不満を抱き、引取りを認めませんでした。去勢済みとは言え、ムクムクは公園暮らしの若い雄猫です。他の猫と喧嘩の一度や二度、経験していても不思議ではありません。しかし、ムクムクが喧嘩傷を負うようなことは今迄に一度もありませんでした。以前、私は園内でムクムクが近所の飼猫を追いたてている光景を目撃し、皆さんに伝えたことがあります。
「ムクムクが見慣れない猫を追い払っていましたよ。強い猫に違いない」
すると、看護助士おばさんも同様の証言をしました。
「散歩中の犬に対しても怯まずに挑むような態度でしたよ。リードに繋がれていた犬ですけれど」
公園猫たちの実質的な飼主となったα社のお姉さんが太鼓判を押しました。
「今、ムクムクは猫町公園のボス猫です」
三本足の猛猫 四
(三本足の猛猫)

ある日の昼時、三本足の猛猫がひょこひょこと猫町公園にやって来ました。
公園猫たちは、園内中央より少し小高い東側に集まっています。
α社のお姉さんは猫たちの飲み水を片付け、既に勤務先の事務所へ戻ってしまいました。故に、石を投げて三本足の猛猫を追い払うような人はいません。
三本足の猛猫は入口の緩いスロープを上がり、見る見る内に園中央へ迫って来ました。ムクムクは呑気に猫邸の上で休んでいます。猫屋敷は東側の隣地境界に近い所にあります。ムクムクとしても、自分の縄張を踏み荒らされたまま黙ってはいられないはずです。
三本足の猛猫は園中央の平地を横切り、土盛りされた小高い土地に上がりました。そして、公園猫たちがてんでに集まっている辺りを悠然と通り過ぎようとしました。
猫町公園に流れ着いて間も無い、若い雄猫マックが三本足の猛猫に興味を示しました。マックは三本足の猛猫の正体を知りません。
「どちら様ですか?」と、マックは前方から何気なく三本足の猛猫に近寄ろうとしました。
「フー ウァーン」
三本足の猛猫は公園中に響き渡る大声で叫び、今にも飛び掛かろうかという勢いでマックを威嚇しました。
「ガサッ、ドッ、ガサッ」
マックは慌てふためき、ツツジの茂みを駆け抜け、コンクリートの土留めから花壇に転げ落ちました。マックには喧嘩を売る気はさらさらなかったはずです。マックの真っ黒な肢体はクリスマスローズの植込みを潜り抜け、一直線に公園の外へ向かいました。三本足の猛猫はマックには目もくれません。吊り上がった目は、元の穏やかなエメラルド色に戻りました。
不妊処置の済んでいるキコちゃんと斑猫おばさん、争いには無縁の去勢済み黒ちゃん。三本足の猛猫はこれらの猫たちを無視して猫邸の前に差し掛かりました。いよいよ、猫町公園の新ボス、ムクムクとの闘いは避けられそうにありません。

「あれ?」
私の立っている位置から、猫邸の上で寝そべっていたムクムクが見当たりません。猫屋敷の陰から三本足の猛猫の不意を衝き、一気に飛び掛かるつもりなのでしょうか?相手が三本足の猛猫となると、そうそう簡単には追い払うことはできないでしょう。三本足の猛猫は猫邸の匂を嗅ぎ、何事も無く通過しました。何が目的で来たのか、やがて三本足の猛猫はそのまま公園の外へ行ってしまいました。それにしても、ムクムクは何処へ行ってしまったのでしょうか?
私は公園の北側出入口に通じる木の階段を上り、踊り場から園内を見渡しました。ムクムクは猫邸の裏側にもいません。しばらくの間、隈なく園内を見渡すものの、ムクムクの姿は確認できません。私は階段を下りて園内を一回りしました。
「ムクムク」「ムクムク」
私は猫屋敷の前で足を止め、ムクムクの名前を繰り返し呼びました。すると、隣地との境界塀の隙間から、ムクムクが公園の中へ入って来ました。
ムクムクは私の足下に駆け寄りました。
「なんだ、お前。隣へ逃げていたのか?」
私がムクムクの喉元を摩ると、ムクムクは心地好さそうに目を閉じました。
後日、私はこの事を看護助士おばさんたちに話しました。
皆がムクムクを注意して見るようになると、やがて「私が見た時もそう」
「わたしも同じ」という声が聞かれるようになりました。
どうやら、ムクムクは弱い相手だけを巧みに選んで喧嘩を売っていただけのようでした。三本足の猛猫みたいに強い相手が攻めて来た折には、真っ先に逃げ隠れしていたのです。
ムクムクの猫町公園ボス猫説は、完全に崩れ去りました。
ムクムクは人懐こい猫です。私たちの前でお腹を出してコロンと横たわり、愛敬を振りまきます。要領がいいからと言って、私たちがムクムクをかわいく思う気持に変りはありません。
(続く)
 
以上
管理人
2015.03.14

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第七十二話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十二話:黒ちゃんのおねだり、キコちゃんのおねだり

飼猫であるかホームレス猫であるかに関係なく、最近の猫には食を得る手段としての狩猟行為が縁遠くなっています。
このことはキャットフードの普及と少なからず関連があると思われます。
人が食べ残した魚や煮干を冷や飯に付け合せ、味噌汁をぶっかけた昔のねこめし。猫に必要なタンパク質が不足し、栄養が偏りがちでした。鼠や小鳥等を補食することによって、猫たちは必要な栄養素を補っていました。
今日、「ねこめし」は、どこの家庭にも見られなくなりました。
キャットフードは、猫に必要な栄養素が十分に配慮されています。そして、ユーザーにとって取扱いが容易です。
小動物、小鳥、昆虫等が近くにいると、大抵の猫はそれらを夢中で捕えようとします。しかし、幼い時から毎日キャットフードを食べて育ち、捕獲した獲物を食べる習慣を親たちから学んでいない猫は、せっかく狩りに成功しても獲物を食べない傾向にあります。勿論、狩猟が唯の遊びの延長であっても、猫にとっては本能から湧き上がる行動に変りはありません。そんな猫たちが空腹時に取る行動は、「狩り」ではなく「おねだり」です。

公園猫の黒ちゃんは、余所から流れて来た雄猫です。
マンションのバアサン妹とα社のお姉さんが足繁く公園猫たちの世話をするに連れて、黒ちゃんは猫町公園に落ち着きました。α社のお姉さんたちは黒ちゃんを早々に去勢しました。黒ちゃんは穏和な性格の為、たいして日数を経ずに他の先住猫たちと仲良くなりました。
黒ちゃんは、人が食べる食材の味を知っています。
陽気のいい季節、昼休みの猫町公園では雨でも降らない限り、誰かしら公園のベンチや石段に腰を掛けてお昼御飯を食べています。タイル舗装された園内中央付近には、二人掛けの木製ベンチが四つ、一間程の間隔で南向きに設置されてあります。黒ちゃんはお昼御飯を食べている人のすぐ目の前に座り、その人の顔をじっと見つめます。黒ちゃんは人に触られるのが嫌いな猫です。いつも人の手が届かない距離を保っています。黒ちゃんは身じろぎもせず、お昼御飯を食べている人の口元をそれはそれは真剣にじっと見つめています。
私にも覚えがあります。黒ちゃんの艶々輝く金色の瞳に、お腹を空かせている自分を見ている気になりました。猫好きの多くは、この段階に至る迄におかずの中から猫が食べられそうな蒲鉾、鳥肉、焼き魚等を黒ちゃんの鼻先に置いて上げます。狐の石像の前にお供物を置くように、おかずをそっと置きます。
そして、「これを食べたらもうあっちへ行ってね」と、心の中でお願いします。
また、猫に関心の無い人ですら、黒ちゃんの視線に耐えられなくなります。
体の向きを右や左にずらし、黒ちゃんとは正面に向き合わないように座り直します。すると、黒ちゃんは静かに立ち上がり、その人が向き直った方へゆっくり移動します。そして、またその人の真正面に座ります。黒ちゃんは再び澄んだ目で昼食を食べている人の口元をじっと静かに見つめます。黒ちゃんはミイミイ鳴き声を上げるのでもなく、また、懇願して身を乗り出すのでもありません。黒ちゃんの顔には、露骨に物乞いをする卑しい表情はありません。唯、じっと澄んだ目で物静かに御裾分けを待っているだけです。もうここまでされて、黒ちゃんの要求を拒絶できる人はそうはいません。猫に関心の無い人も黒ちゃんにおかずを分けて上げます。
黒ちゃんは頂いた食べ物を大抵綺麗に平らげます。一つのおかずを食べ終えると、また先程と同じように座って次の「お供物」を待ちます。隣接しているベンチで複数の人が昼御飯を食べている場合、黒ちゃんは食事を分けてくれる人を巧みに見抜きます。手招き等、あからさまな歓迎態度ではなくても、黒ちゃんは自分に対する好意の暗示を見逃しません。
顔は心の鏡。黒ちゃんに対して知らん振りをしている人でも、心の内が瞳や顔の筋肉の微妙な動きに表れ、黒ちゃんに伝わるのでしょう。
最初の人からおかずを一品二品分けて貰い、粘ってもこれ以上は出ないと見切るや、黒ちゃんはお弁当を広げている別の人の前に移動します。
公園の猫たちの中でも、黒ちゃんの「おねだり」はとりわけ上品であり、端で見ている人をほのぼのとさせる趣があります。

猫町公園のキコちゃんは、キジトラの被毛が美しい雌猫です。キコちゃんは普段、α社のお姉さんとバアサン妹から御飯を貰っています。たまにおやつを与える時以外、私の傍へ近寄って来ることはありません。
「キコちゃん おいで」
私が声を掛けても、つんと澄まして知らん顔です。
もっとも、α社のお姉さんたちでさえ、この美しくしなやかな猫を腕の中に抱くことは叶いません。
ある朝、私が出勤前に猫町公園に立ち寄ると、キコちゃんがミイミイ啼きながら私の足下にまとわり付いて来ました。
私が手を伸ばすと、キコちゃんはバネを利かせて飛び退いてしまいます。しかし、またすぐにキコちゃんは近付いて来ます。
「アーン ミィー」 「アーン ミィー」
金色の目をまん丸にして、必死に啼いて訴えます。他の猫たちの姿はありません。
「ははん。食べはぐれたな?」
どうやらキコちゃんは何処かへ出掛けていて、α社のお姉さんたちの朝食に間に合わなかった様子です。私は鞄の中から猫のチーズを取り出し、キコちゃんに分けて上げました。それから、袋入のカツオ煮もそっくり与えました。チーズとカツオ煮は、後でチイスケに差し入れする為に用意してあった分です。
物凄い勢いです。脇目も振らずキコちゃんは全部お腹に収めてしまいました。
キコちゃんは静かになりました。もう「ミイ」とも「ニャー」とも啼きません。
キコちゃんは私の手の届かぬコンクリートの土留めに飛び乗り、ペロペロ自分の手を丹念に舐め始めました。それから、順々に顔、額、耳、前頭部を何度も擦りました。
「キコちゃん」
キコちゃんは一瞬私の方へ顔を向けました。いつもの澄ましたキコちゃんです。
私のことなどもう眼中にありません。
「よかったね」
私はキコちゃんに一声掛けて、溜息混じりに勤務先へ急ぎました。
(続く)

「無責任にえさを与えないでください」と、よく聞きますね。
正論です。
見ず知らずの猫さんを見て「猫さんかわいい」と思って、飼猫としておうちに迎えるまでにいくつかのステップを踏みます。また、猫にまったく関心のなかった人が、ふとしたきっかけで飼い主のいない外猫さんと仲良くなるのも運命、出会いなのでしょうね。

以上
管理人
2015.2.28

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十一話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十一話:地べた族

都会の真ん中にある猫町公園は、オフィスや病院のビルに囲まれています。
付近に一戸建て民家は数軒を数えるばかりです。幸いにも猫の啼き声やトイレ等の問題が苦情になることは殆どありません。
園中央部の平らな土地は、一部がコンクリートとタイルで舗装されています。公園猫たちは普段、園北端の柔らかい土壌の緩斜面で用を足します。そこは園中央部からは人が上がれない程高く、落葉が腐葉土となって堆積しています。人も立ち入らず猫が用を足した後に土を掛けるので、私たちはついこれ幸いとしていました。園中央部のタイルの上にも、稀に猫が食べた物を吐いてしまうことがあります。そんな時には、猫好きの仲間が小金持のホームレスからスコップを借りて汚物を片付けます。小金持のホームレスが片付けてくれる時もあります。小金持のホームレスは、自分が出した生活ごみばかりか、猫の食べ残しや来園者が散らかして行ったごみも綺麗に清掃します。公園を管理する自治体に苦情が入ると、公園に住みづらくなることを重々承知しているのです。

ある朝、私が公園に立ち寄ると、地べた族の若者が一人公園の隅の砂土にお尻をついて座っていました。電車の床、コンビニの駐車場、道路、公園等、どこでも構わず直に地面に座ってしまう行為が一部の若者の間に見られます。  グループでたむろしていることが多く、「地べた族」と呼ばれています。最近は当り前の光景になってしまったからか、この言葉も廃れつつあります。
高校の夏服姿の若者は、携帯電話を片手に画面を見つめて夢中で操作しています。私が園内中央のベンチに座ると、小金持のホームレスがやって来ました。
「おはよう」
小金持のホームレスの右手には、小さなスコップが握られてあります。
「おはようございます」
私は挨拶を返しました。
「ありゃー」
突然、小金持のホームレスが間の抜けた調子で叫びました。
「何?」
私が問うと、小金持のホームレスは含み笑いをして囁きました。
「あいつよう、あそこに座っている奴」
小金持のホームレスは、胸元に添えた左手の親指で遠慮がちに地べた族の若者を指しました。そして、声を押し殺して続けました。
「あの盛り上がっている所はよう。さっき黒ちゃんが下痢ウンチを粗相して、砂土を掛けた所なんだよなあ。俺、埋めようと思って、今、ねぐらからスコップを取って来たところだ」
地べた族の若者は携帯画面を見つめながら、黙々と操作を続けています。勿論、私たちの会話は若者の耳には届きません。
「何も知らないみたいだから、黙っていましょう」
私の提案に小金持のホームレスはにっこり笑って頷きました。
「しかし、よお。ベンチが空いているのに、わざわざ地べたに座ることもなかろうになあ。俺だってダンボールくらい敷くぜ」
小金持のホームレスは頭を振って隣のベンチに移りました。そして、寝そべりながら、広げた新聞を読み始めました。
(続く)

以上
管理人
2015.2.21

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第七十話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第七十話:猫町の飼猫 六(定食屋の猫)

猫町のはずれ、閑静な住宅街の一角に年寄り夫婦が経営している定食屋さんがあります。看板らしい看板も出していない、古い木造平屋造りの小さな食堂です。厨房は狭く、三人掛けのカウンター席と、四人掛けの座敷席が二つあるだけです。

ある日の昼時、事務所の同僚たちが初めてその定食屋さんから出前をとりました。各自の席で皆が一口二口食べ始めると、山菜蕎麦を注文した若い男性が突然素っ頓狂な叫び声を上げました。
「うわ!髪の毛かぁ?」
山菜蕎麦の注文主は、割り箸で挟んだ蕎麦を一旦自分の目線迄持ち上げ、箸先をしげしげと見つめました。それから異物だけを手で取り分け、卓上に裏返した丼の蓋に除けました。若い男性は箸先を丼の中に戻しました。そして、蕎麦の中を何度も突付き丹念に調べました。髪の毛のような異物は、丼の表面に固まってあった三本だけでした。毛はどれも十センチに少し足りない程の長さです。毛の根元から中央迄は白色、先端に行く程濃く茶色に色変わりしています。とても柔らかく、人間の毛髪の半分も無い細さです。先端はさらに細く尖っています。どうも人間の毛髪とは思えません。
「何だろう?」
同僚の若い男性は箸を置き、定食屋さんに抗議の電話を掛けました。
電話には店主のおじいさんが出ました。おじいさんは言い訳一つせずに謝り、「すぐに代りの蕎麦を届ける」と言いました。
おじいさんは素直に非を認め、誠意を以て迅速に対応しようとしました。
「何かの拍子に、糸か毛のような物が入ってしまっただけだろう」
他の社員が聞き耳を立てて注視している中、若い男性は殊更に寛容な紳士であろうと振舞いました。
「事を荒立てるつもりはありませんよ」
若い男性は穏やかな口調でおじいさんの謝罪を受け入れました。
用件が済み、若い男性は受話器を耳に当てたまま相手が先に電話を切る迄待ちました。すると、電話口の向こうからおじいさんの話し声が聞こえて来ました。
「わっはっは!まーた、猫の毛が入っちゃった。文句が来たから、すぐに代りを持って行くわ」
遠く、エコーの効いた声です。

後日、私は猫町の古くからの住人である魚屋さんに件の定食屋さんは「どういう店か?」と、尋ねてみました。
「あそこは駄目よ」
魚屋さんの奥さんが顔をしかめて言いました。
「よく知っている人は誰も行かないのよ。何匹も猫を飼っていてねえ。お客さんがいない時なんか、しょっちゅう猫がテーブルに座っているし、調理場のまな板に乗っていたこともあるのよ。近所の人が通りすがりに見掛けたって」
魚屋さんの奥さんは首を振って続けました。
「わんこ(椀子)蕎麦ってあるわよね。犬とは関係無いけれど。語呂が犬の「ワンコ」と同じでさ。でも、「ニャンコ蕎麦」なんて聞いたことも無いわ。いただけないわよねえ。衛生面には十分気を配って頂きたいものよ。猫が汚いなんて言われたくないわ。だいたい、野良猫だなんて言ってるけれど、毎日餌あげてりゃぁ、自分の猫じゃなくて何なのよ」
いかにも江戸っ子らしい、歯切れの良い口調です。魚屋さんの奥さんは饒舌に真実を語ってくれました。
「ごもっともです」
私は相槌を打ちました。魚屋さんの奥さんの話が終わると、私は軽く会釈して事務所へ戻りました。
(続く)

猫町の「飼猫のおはなし」は今回で終わりです。

以上
管理人
2015.2.11

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東京猫物語 第六十九話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第六十九話:猫町の飼猫 五(新聞屋の猫)

papa(新聞屋さんの猫)

猫町最強、三本足の猛猫は新聞屋さんの家の飼猫です。
人に対してはとても懐っこい、かわいい性格の猫です。
一方、雄猫や犬にはとてもきつい態度をとります。激怒している時の顔は、猛々しい獣そのものでした。猫町最強の雄猫故に、子供が沢山います。
おにいちゃん、チイスケ、ワンダー、グラフィクデザイナーの若い娘さんが引き取った猫。
三本足の猛猫は、皆のパパです。
猫町公園の外猫たちに早く不妊手術を施さなかった責任は、猫たちに接していた皆にあります。
「飼猫なのだから、三本足の猛猫の去勢は飼主さんにお願いしましょう」
三本足の猛猫は猫町では有名です。猫町の動物愛護団体の方が新聞屋さんに何度となく去勢手術を勧めました。
「雄だから、その必要はないでしょう」
毎度、飼主さんにこう言われて、去勢手術の話は進展しないままでした。

そんな折、三本足の猛猫がまる二晩家に帰らないことがありました。外出から三日目の早朝、
家に戻った三本足の猛猫は去勢されていました。
飼主の意向を無視して誰かが勝手に連れ去り、去勢してしまったのです。三本足の猛猫は首輪を付けています。明らかに飼猫と分かるはずです。

この事件について、人々の受け取り方はまちまちでした。
「あの猫がいると仔猫が増えてしまうから仕方が無いよね」
麻雀屋の若い女性従業員さんが言いました。
「他人の猫を勝手に去勢するなんて、とんでもないわ。手術は全身麻酔して行われるから、多少なりとも危険が伴うし。もし、手術中に事故が起きたらどうするつもりなのかしら」
グラフィックデザイナーの若い娘さんは不快感を顕にしました。グラフィックデザイナーの若い娘さんは、猫はできるだけ生まれ育つままがいいという考えです。
猫町の動物愛護団体の中年女性にもこの話を伝えました。
この方は猫町の写真屋さんです。
「首輪をしていても、どうせ飼主と分かる連絡先は表示されていなかったのでしょう?こういう時はねえ、誘拐して不妊去勢してしまってもいいのよ」
愛猫家の女性はめくばせしながら小声で私に言いました。話をしている間中、愛猫家の女性はずっと笑みを浮かべていました。しかし、眼鏡の奥の大きな黒い瞳は、笑っていませんでした。瞳の中には冷徹な合理主義が宿っているように思われました。
「この人か、或いは仲間がやったかもしれないな」私の中に疑念が生まれました。
飼主の責任と権利。管理が行き届かない猫の誕生。財産権の侵害。尊い猫の命。
幸い三本足の猛猫は飼主のもとで元気に暮らしています。
三本足の猛猫拉致去勢事件。是非を巡る意見が錯綜します。
(続く)
こたつ大好き
(写真:三本足の猛猫の子と思われる、うちのぐれあに)
以上
管理人
2015.1.31

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

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東京猫物語 第六十八話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第六十八話:猫町の飼猫 四(喫茶店の猫)

猫町公園の近くに一軒の喫茶店があります。
小さな三階建てビルの一階を借りて開業しています。店頭には年中プランターの緑が絶えません。
メニューの種類は多くはありません。しかし、日替りのランチとケーキセットはなかなかの人気です。日が暮れて暗くなると、ほっとするような暖かい灯がガラス窓から外へ漏れてきます。それから、間も無く喫茶店は閉まってしまいます。

私はこの喫茶店の前をいつも素通りするだけでした。
朝は時間が無く、昼休みはランチメニュー目当てのお客さんでいつも店内が混んでいるからです。この喫茶店の存在が気に掛かってからずいぶん月日が経った頃、たまたま朝時間が空いたので、私は初めて店内に入りました。
床は全面樫のフローリング貼りです。無垢の素材の重厚さと、艶、濃い色合いは、高級感と落ち着きを現出しています。壁と天井は、白を基調とした質素な石面調のクロス貼りです。テーブルセットはアール・デコ調。床よりも淡い色合いの木製です。入口から左手すぐ手前と、その奥、通りに面した窓際に沿って、二人掛けの丸テーブル席が二つ並んでいます。丸テーブルの無垢の天板中央部には、薄緑のガラスがはめ込まれてあります。また、四人掛けの四角いテーブル席が店内左手中央に一つ、その奥の壁際に二つ、適度な間隔をとって置かれてあります。入口から右手奥にはキッチンがあります。キッチンと対面して、床と同色の三人掛け木製カウンター席が作り付けてあります。テーブル席の合間を縫って、背丈が大人の腰程のバキラとベンジャミンゴムが一鉢ずつ床置きされてあります。入口の正面奥には、大人の肩程のヒロバドラセナの植わった素焼鉢が飾られてあります。テーブル席の合間の奥の壁面にも、椅子に座った目線より少し高い位置にポトスと折鶴ランの鉢が掛かっています。
キッチンを除き、照明は全て壁付と床置きの間接照明。暖かみのある灯です。

その朝、四人掛けテーブル席には全て先客がいました。
カウンター席は、太った禿頭のおじいさんが真ん中の席に座っていて窮屈そうです。入口左手、窓際の二人掛け丸テーブル席は、二つとも空いています。私は入口から近い方の丸テーブル席にキッチン・カウンターを背にして座りました。喫茶店の女経営者が間を置かず、おしぼりとグラス水を持って注文を取りに来ました。私は予ねてからお目当ての、ガトーショコラとエスプレッソのセットを頼みました。その日は天気の良い穏やかな冬の朝でした。暖かい陽光がガラス窓とレースのセパレーツカーテンを潜り、私の前のテーブルに差し掛かっていました。
「さて、新聞でも読もうか」
その時、薄い茶色と白色のトラ猫が、奥から出て来て私の斜め向かいの椅子に飛び乗りました。そして、体を丸めて眠りに就いてしまいました。
私は驚いて周りのお客さんの反応を見ました。誰も猫に気を取られる者はいません。猫は私の存在などまるで眼中に無い風でした。猫がいる風色は平素、当たり前に時間が流れています。
「お待たせ致しました」
ケーキセットを運んで来た女経営者が、猫をしげしげと見つめている私に言いました。
「先程は奥の納戸の棚の上にいたのですが、陽が当たってきたので。ここが彼のお気に入りの席なのです。お嫌いでしたら、あちらのテーブルに移られますか?」
「このままで結構です」
私は女経営者に伝えました。
私は新聞を鞄にしまい、陽光を浴びた猫の寝顔を眺めながら実になごんだ気分でガトーショコラとエスプレッソを頂きました。
女経営者がお皿とカップを下げ、空のグラスに水を注ぎました。
「この猫はずっとここで暮らしているのですか?」
私が尋ねると、女経営者は気さくに応じてくれました。
「親猫がお店の前に仔猫を三匹置いて行きました。軒下に植込みがあるでしょう?そこへ。親猫はお店に居着かないけれど、仔猫たちは私に馴れたので中に入れるようにしました。お客さんの中に猫のボランテイアだという人がいて、仔猫たちが成長した頃に親猫と仔猫たちの不妊・去勢手術をして下さいました。ボランティアだなんて言っていたくせに、掛かった費用の請求書と振込用紙が後で送られて来たのですよ。お金を取るなんて一言も言っていなかったのに。勿論お支払いしましたけれど」
女経営者は、かすれた甲高い小声で笑いました。
「その後、黒の仔猫は、近所のグラフィックデザイナーのお嬢さんのお世話で飼主さんを見つけて頂きました。サバトラの仔猫は、朝、ぐったり倒れていたところ、私が急いで病院へ連れて行きました。かわいそうに車に跳ねられたみたいで、結局、助かりませんでした。今、お店の中にいる子がそのきょうだい。雄猫ですが、とても大人しいの。日中は殆ど寝ていて、たまに散歩に出掛けるだけです。夕方戻って来ると、閉店後はお店の中に入れて外には出しません。車通りは少ないけれど、交通事故で死んでしまった子がいるから心配です。それに近所の三本足の猫に苛められるから」
グラフィックデザイナーのお嬢さんとは、あの猫が好きな若い娘さんに違いありません。三本足の猛猫のことも、よく御存知の様子です。猫町の愛猫家と話をすると、共通の顔見知りや猫がしばしば登場します。
私が席を立っても猫は目を覚ましません。勘定を済ませている間も、椅子の上の猫は心地好さそうに熟睡したままでした。
(続く)

以上
管理人
2015.1.24

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第六十七話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第六十七話:猫町の飼猫 参(釜飯屋、判子屋、画材屋の猫)

猫町の裏路地にたいそう繁盛している釜飯屋さんがあります。
毎日昼時になると、小さな店の前にお客さんたちが行列を作って順番を待ちます。路上、一間間口の入口引戸の端に、重厚なウォルナット天然木の椅子が出ています。椅子の上には薄いクッションが置かれていて、ずれ落ちないようにゴムで背もたれにくくられています。
「この椅子はなんだろう。順番待ちのお客さんが座るにしては、一つだけでは益体も無い」
釜飯屋さんの前を通る度に、私は椅子が気に掛かりました。

ある昼休み、私は事務所の同僚を誘って釜飯屋さんを訪れました。
すると、いつもの椅子にグレー色地に黒縞模様の小さな猫が寝そべっていました。猫は赤い首輪をしています。私が近付くと、猫はいたずらっぽい目で見上げてコロンと仰向けになりました。顎下とぷっくり頬を軽く指で撫でると、猫は心地好さそうに目を瞑りました。同僚の手前、長々と猫を触っている訳にも行かず、私たちは順番待ちの列の最後尾に付きました。
この日、私は一番のお気に入りである鯛釜飯を注文しました。そして帰り際のレジで、私は店主の奥さんに店先の猫について尋ねてみました。
「お隣の八百屋さんが飼っている猫よ。猫がくつろげる塀などが無いので、休憩できるように椅子を貸して上げたの。元はメニューとサンプルを置いていたのが、いつの間にかねえ」
店主の奥さんが迷惑がる様子は全くありませんでした。

猫町を東西に貫く国道沿いに、道路を隔てて判子屋さんと画材額縁屋さんが向い合っています。二軒共、一階はお客さんが五人も入ると一杯になってしまう店舗で、二階が住居です。そして、どちらの店にも看板猫がいます。
片道三車線の国道沿いは、住むには騒がしい環境です。店の前の歩道は人の通行が多く、乗用車が一台通って余る程広く舗装されています。
判子屋さんは、初代店主のおじいさんと後継ぎの四十代半ばの息子さんが営んでいます。判子屋さんが扱う主力商品は、手彫りの高級印章です。他に、翡翠、瑪瑙等の装飾小物が、ガラスショウケースに飾られてあります。
判子屋さんの看板猫は、大型の長毛猫です。全身がクリーム色で、顔と頭、足と尾の一部にチョコレート色が濃淡混じっています。判子屋さんの猫は時折ガラス越しに外を見て、いつもは店の中でのんびり暮らしています。町へ出掛けて探訪しようなどという気はさらさらありません。お客さんが出入口のガラス扉を開けても、猫が慌てて外へ飛び出す心配はありません。初代店主のおじいさんが店の前の舗道を掃いている時、猫はその傍らで静かに座っています。

額縁屋さんは、六十歳位のおばさんが一人で営んでいます。
二間間口の店は、日中シャッターとガラス引戸が開け放しになっています。店の中は、無数の整理されていない額縁が所狭しと、通路や棚に積み上げられてあります。壁にも隙間が無い程額縁が掛けられてあります。
額縁屋さんの看板猫は、小柄なサバトラ猫です。白色の多い短い被毛、緑色の首輪を付けています。このサバちゃんも、とても大人しい猫です。サバちゃんは、額縁の山や店内に積み重ねられたダンボール箱の上でいつも気ままに過ごしています。
「もういい歳だから、毎日ごろごろしていることが多いのよ」
額縁屋のおばさんは、いとし気に猫を見つめて言いました。
「今迄に何匹も飼ったけれど、私も歳だからこの子が最後のつもり。自分がこの先老いて行くのに、仔猫を飼うどころではないもの。子供たちは店を継がないから私の代限りよ」
額縁屋のおばさんは少し淋しそうでした。
(続く)

以上
管理人
2015.1.17

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第六十六話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第六十六話:猫町の飼猫 弐(商店街のスノッブ猫)
 
猫町のほぼ中央を国道が東西に貫いています。
猫町商店街は国道と平行に走る、ブロック一つ奥の裏通り沿いにあります。そこは両側に歩道がある一方通行の狭い車道です。商店の車、配送・引取に来る車の他、一般車は殆ど通りません。両側の歩道は人が三人並んで歩ける程広く、美しい石畳調に舗装されています。通り沿いには、大小の商店、食堂が軒を連ね、おおよそ日常必要と思われる商品とサービスが揃っています。

昼間、私が猫町商店街の舗道を真っ直ぐ西へ向かって歩いていると、一匹の猫が目の前を横切りました。濃い赤茶色の美しい猫です。赤茶猫は行き交う人々には全く関心を示さず、悠然と歩いています。雌猫でしょうか?首には縁が金色の赤いシルクのリボンが巻かれてあります。細身で小柄。長毛と言う程ではありませんが、ふさふさした皮毛は陽光を浴びて艶々輝いています。物怖じせずに石畳を歩く風体からは気品すら感じられます。

車も来ないし、私はちょっとだけこの赤茶猫にちょっかいを出してみたくなりました。靴音を立てぬようにそっと踵から地面を踏み、私は赤茶猫の背後に忍び寄りました。赤茶猫は車道を渡り始めていて、向こう側の歩道に差し掛かった所で私は追い着きました。
「トンッ」
私は赤茶猫の尾の付け根辺りを軽く右手の指先で触りました。
赤茶猫は驚くでも無しにゆっくり後ろを振り返り、私の方へ向き直りました。
「カーッ」
赤茶猫は鼻に皺を寄せ、美しい緑の瞳を飛び出さんばかりに見開き、大きく開けた口に犬歯を剥き出しにして私を威嚇しました。怒りに燃えた目は、私の目を射抜かんばかりに見据えています。
「怖い!飛び掛かって来る?」
私はその場に凍て付きました。体の中が熱くなり、顔だけは冷たく血の気が引いて行く感覚です。
赤茶猫は尚も私を睨んでいます。
「そんなに怒ることないだろ?」
私は目で赤茶猫に呼び掛けました。
「カーッ」
赤茶猫は私の心からのとりなしにも応じず、いきなり断りも無く体に触れた無礼者に対して、抗議の威嚇を繰り返しました。
それからほんの数秒の静止の後、赤茶猫はくるりと私に背を向けて歩き出しました。謝罪が通じたのでしょうか。私は肩を落し、止めていた息を一気に吐き出しました。
「育ちの良さそうな猫だから、てっきり人馴れしているかと思ったのに」
赤茶猫は私を寄せ付けず、終始高い気位を保って振舞いました。
「誰かに見られていた?」
赤茶猫が立ち去った後、小さな猫に射竦められた伐の悪さもあり、私は辺りを見廻しました。路上の人々は皆せわしく、猫と私の揉め事など誰も気付いていない様子です。
「やれやれ。余計な事をしてしまったな」
かなり怖い思いをしたのに、私は気品に満ちた赤茶猫がとても好きになりました。
(続く)

以上
管理人
2015.1.10

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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東京猫物語 第六十五話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第六十五話:猫町の飼猫 壱(果物屋の猫)

猫町商店街には小さな果物屋さんが一軒あります。
野菜は扱わず、果物とサンドウィッチを販売している店です。店舗の奥と二階が自宅を兼ね、間口は狭く奥行が長い造りです。通りに面している狭い間口は、ガラスショウケースが半分近く場所をとっています。向かって左手にあるショウケースの中は、ガラス棚で三段に仕切られています。ハム、タマゴ、フルーツ、ミックス、ポテト。自家製サンドウィッチが種類毎に四角いアルミトレイの上に置かれ、ショウケースの棚に並べられてあります。ショウケースの高さは大人の女性の胸程です。店主のおばさんがお客さんから注文を受けると、ガラスショウケースの頭上で商品と代金が交されます。
毎日昼休みが終る頃には、サンドウィッチはほぼ完売となります。

晩秋から冬の間、午後になると暖かい陽射しが店内を明るく照らします。店の奥へ通じる細い通路を挟んで、向かって右手には低い木製の台が店頭から奥へ段々高くなって続きます。台の上には、季節折々の果物が幾つかまとまって、平らな丸いプラスチックの籠に乗せられてあります。
台の上の果物は、舗道からもよく見渡せます。
台の中段の、通路に近い位置に真四角の座布団が一枚敷かれてあります。そこには座布団よりもやや小さい、深さ十センチ程の楕円形の籐籠が置かれてあります。座布団の前には、無造作に切り取られた手の平サイズ大のダンボール紙があります。
「睡眠中の猫を起さないで下さい」
黒色太字マジックで書かれた注意書です。果物屋さんの飼猫の休憩場所のようです。どんな猫なのでしょう? 私が店の前を通ると、いつも猫は外出中です。

冬の日の午後、所用を済ませて事務所へ戻る途中、私は果物屋さんの前を通り掛かりました。店にはお客さんはいません。つい、私は店の奥にいる店主のおばさんに声を掛け、ショウケースの中に三切ればかり残ったサンドウィッチを買い求めました。商品と代金の受け渡しが終るや、私は店の猫について尋ねてみました。
店主のおばさんは、快く私の問いに答えてくれました。
猫はさび猫で雌、この夏に十一歳になったこと。最近は店の奥の座敷で寝てばかりいること。今いる猫は先代猫の娘で、先代猫も十三年間生きて二年前に亡くなったこと。果物屋のおばさんは、いろいろ話してくれました。
「さび猫とは何ですか?」
私が尋ねると、果物屋のおばさんはガラスショウケースの裏の棚から猫の写真を手にとって見せてくれました。黒色・白色・黄褐色が、細かく雑然と混じった猫です。写真の中の金色の細い目が、こちらをじっと睨んでいます。
おうちではたいそうかわいがられている猫なのでしょうが、お世辞にも「かわいい」とは言えない、不機嫌そうな膨れっ面の猫でした。
頼まれもしないのに、つい私も内ポケットからおにいちゃんの写真ケースを出して果物屋のおばさんに手渡しました。
「写真を持ち歩いていたら本物よ」
果物屋のおばさんは笑顔で言いました。
果物屋の店先で、その後も私たちの話ははずみました。
「先代の母猫も今いる娘も、二匹共丈夫で長生きしてよかった」
果物屋のおばさんの話を受けて、私は伝えました。
「うちの猫は年に一度は体調を崩し、動物病院へ行きます」
すると、俄に果物屋のおばさんは真剣な面持ちに変わり、ガラスショウケースの裏からせかせかと舗道迄出て来ました。それから、誰にも聞かれたくないのか、辺りを見回して低い声でゆっくり語り始めました。
「毎日猫ちゃんにようく言って聞かせるのよ。病気するなよ!長生きしろ!って。毎日ね。うちの猫はね、二匹共病気で医者にかかったことは無いのよ。一度もね。病気すると大変だからねえ。ようく言い聞かせると、猫は分かるのよ」
果物屋のおばさんの押し殺した声使いと、真剣な表情がこの話にいっそう神懸り的な印象を与えます。猫好きだけが信じ得る、神秘的な世界への誘い。飼猫との秘密の世界を特別に私に明かしてくれているようです。

私はしばしば猫の不思議な能力を感じることがあります。
「この話はきっと真実に違い無い」
私は果物屋のおばさんのは話を信じました。
この日、勤めを終えて帰宅すると、私は果物屋のおばさんから聞いた通りに実行しました。
「病気するなよ。長生きしろよ」と、おにいちゃんを撫でながらよく言い聞かせました。私が話し掛けると、愛猫はいつも通りお腹を上に向けてころころ左右に転がり、喉をグーッ、グーッと鳴らしました。
お昼寝
以来、私は果物屋のおばさんの教えに従い、毎日おにいちゃんに言い聞かせています。人と猫は触れ合いを通じて、双方が精神的な安定を得られるという話を聞いたことがあります。血圧が降下する、心拍の安定を助長する等、健康効果を説く医療関係者もいます。果物屋のおばさんの話は、あながち科学的根拠を欠いているとは言えないかもしれません。
その後五年間、おにいちゃんは私の説法を忘れて二度熱を出しました。それでも病気になる回数が減り、病が軽く済んでいるのは果物屋のおばさんの教えが通じているからかもしれません。おにいちゃんがこれからも元気で長生きするように毎日願うばかりです。
(続く)

以上
管理人
2014.12.27

「数年前、この果物屋さんは店を閉めて別のお店に変わりました」

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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