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東京猫物語 第五十八話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第五十八話:K院長先生のコメント

「チイスケが怪我を負って、御飯を食べないそうよ」
看護助士おばさんから報告を受けた私は、その足で電気屋さんの倉庫に駆けつけました。倉庫の奥にいたチイスケは、右の耳から頭部に掛けて傷を負い、皮膚は裂けて膿んでいました。長いふさふさの毛が皮膚を覆い隠し、よく確認はできないものの、首の後ろから肩甲骨の辺りも毛並が乱れて粘液で濡れています。顔を近付けると、腐臭が鼻を突きます。
「チイスケには夕方迄我慢してもらうしかないけど、今日中に病院へ連れて行きましょう」
私は主任さんと時間を取り決め、一旦事務所に戻りました。
チイスケ 子猫(チイスケ 子猫の時)
夕方、私は事務所での仕事を中断し、電気屋さんの倉庫へ出掛けました。私が倉庫の中に入ると、チイスケは既にキャリーバッグの中でした。そして、玄関前には赤いワゴン車が用意されてありました。主任さんに促されて、私はキャリーバッグを抱えてワゴン車の後部席へ乗り込みました。
「もう。昨日の内に病院へ連れて行ってあげてよね」
見送りに来た麻雀屋の年配の女性従業員さんが、主任さんに不満をぶちまけています。私は予め連絡を入れておいたいつもの動物病院に電話を掛け、これからすぐに伺う旨を告げました。
「行って来ます。後でまた」
麻雀屋さんの小言の拝聴もそこそこに、主任さんはワゴン車を発進させました。
「今回、さすがに体が辛いのか、逃げようともせずに素直に入ったよ」
予防注射に出掛ける時、チイスケはキャリーバッグを見ると逃げてしまいます。普段、キャリーバッグに収めるのは、容易ではありません。
道すがら、主任さんはバックミラーに映った私に向かってチイスケの様態をあれこれ教えてくれました。

平日のせいか動物病院は、いつも訪れる土曜日よりは空いていました。
都会の住宅街という立地から、駐車スペースが十分ではありません。主任さんが路上の車中で待機することになりました。
「あれ、院長先生はお留守ですか?」
受付の女性看護士さんに尋ねると、院長先生は学会へ出張の為不在の由。
私はすぐに診察室の中に通されました。診察に臨んだ若い男性獣医師が、チイスケの肩甲骨の辺りの毛を小さな円筒形の電気バリカンを使って手際よく刈り込みました。すると、皮膚と共に四~五センチ程の細長い傷が顕になりました。
「喧嘩でしょう。熱もありますね」
若い男性獣医師は、チイスケの肛門から手早く体温計を抜き出して言いました。
チイスケがさほど喧嘩に強くないのは、ワンダーと遊んでいる時に実証されています。そのくせ、やたらと自分から喧嘩を吹っ掛けるからこんな目に遭うのです。若い男性獣医師は、消毒薬を浸した脱脂綿でチイスケの頭部と背中の膿んだ傷口を消毒し始めました。背中の傷口はかなり痛かったとみえます。
チイスケは診察台から飛び降り、「フー」と低い唸り声を上げました。
若い男性獣医師は、思わず仰け反りました。
チイスケは若い男性獣医師に対して敵意のある視線を向けてはいません。
唸り声は人を威嚇するものではなく、傷の痛みに対するチイスケの苛立ちと思われます。躊躇無く、女性看護師さんが手馴れた手付でチイスケを抱えて診察台に戻しました。消毒用の脱脂綿には血が薄く滲み、黄白色の膿がべっとりと付着しました。二度、三度、脱脂綿は取り替えられ、傷の消毒は終りました。それから、若い男性獣医師はチイスケの首の後ろの皮を摘んで抗生剤と消炎剤を注射しました。私は若い男性獣医師に今後の治療方法について質問しました。
膿んだ傷口を切除、縫合するのか?傷口がくっついた時点で退院するのか?
チイスケは丸一日の間何も食べていなかったので、脱水症に陥っていないか?
若い男性獣医師が「ビタミン・栄養剤を注射する」と答えたので、心配の一つは解消されました。
「当分の間、毎朝晩食後に薬を飲ませ、一日二回は傷口に薬を塗ってください」
若い男性獣医師は、入院が必要とは明言しません。
「電気屋さんの倉庫では十分な看病が可能だろうか?薬を塗られると痛いから、倉庫の外へ逃げてしまうかもしれない。様態が悪化した場合、迅速に対応できるだろうか?」
私は大いに不安を感じました。そこで、私は「チイスケが自分で御飯を食べられるようになる迄、入院させて欲しい」とお願いしました。
「猫はお預かりします。今後の治療方針は、今夜院長が戻り次第相談します」
結局、若い男性獣医師が治療方法を明示しなかったので、私はとても不安になりました。

主任さんは車を下りて道に立っていました。
私を見て、主任さんの顔がさっと曇りました。私がチイスケを連れていないからでしょう。
「入院?」
バックミラーの中の私に向かって、主任さんが叫びました。
帰途車中、私はチイスケの診断結果を説明しました。
「チイスケは数日の入院が必要です。場合によっては傷を切開手術するかもしれません。適切に治療すれば、早期に回復するそうです。毎日の投薬と安静に過ごせる環境が不可欠です。できる限り皆さんで協力しましょう」
主任さんの顔には安堵の表情が表れました。説明の半分は私の脚色でした。
猫町に戻り主任さんと別れると、私は麻雀屋さんの事務所へ向かいました。
麻雀屋さんたちはチイスケの怪我を心配しいしい、私からの連絡を待っていました。私は本件の経過を包み隠さず報告しました。麻雀屋さんたちは自分たちの問題として事前に治療費の援助を申し出ていました。私が敢えて入院治療をお願いしたことにも、三人共快く了解してくれました。
丁度院長先生が帰宅する頃なので、私は麻雀屋さんの事務所から動物病院に電話を掛けました。今後の具体的な治療方法について、院長先生と確認したかったからです。病院を出た時から、私は何とも言えない不安に苛まれていました。
院長先生は病院に戻っていました。
「手術して縫合して頂けるのですか?」
「抗生剤と塗り薬だけで大丈夫ですか?」
「御飯を食べていなかったけれど、内科的に心配ですか?栄養の補給はして頂けるのですね?」
「チイスケは無事に回復しますよね?」
麻雀屋さんたちにも後押しされ、素人の私が矢継ぎ早にまくし立てたので、さぞかし院長先生も迷惑だったことでしょう。
「先生。猫ちゃんを助けてください」
年配の女性従業員さんが私の耳元で叫びました。
院長先生は懇切丁寧に私の電話に応対してくださいました。
「帰ったばかりなのでこれから猫を診ます。手術するか薬剤で治療するか。ね。兎に角、猫にとって一番良い方法を選択しますから。一番良い方法をね」
「猫にとって一番良い方法」と聞き、盆地に滞っていた霧のような不安は払拭されました。ふっと肩の力も抜け、院長先生に全てお任せすれば大丈夫と思えるようになりました。猫に関する著書を多数執筆された、ベテラン院長先生の言葉には人を安心させる説得力がありました。何故、これ程慌てふためく必要があったのでしょうか。
「翌日、窓口の看護士に詳しく引継ぎしておくので、再度電話で猫の様子と退院予定日を確認してください」
院長先生は穏やかな口調で会話を締め括りました。
「はい。是非宜しくお願い致します」
私は電話機を耳に当てたまま頭を下げました。

チイスケは五日間入院しました。
本来は自宅療養で済んだのに、土日もあって私たちの世話が手薄だという事情から入院させて貰ったのです。手術の必要はありませんでした。入院初日と二日目に、抗生剤と消炎剤を接種。毎日傷口の消毒を重ね、薬も飲んでチイスケは回復に向かいました。
入院中、私は一度チイスケの御見舞に行きました。チイスケは入院棟のスチールケージの中に静かに座っていました。チイスケは私の顔を見ると、「アーン」と何度も啼きました。臆病である一方、元来人懐こい性格の猫です。若い女性看護士さんにもすっかり懐いていました。

退院時、傷に塗る軟膏と飲み薬が処方されました。
「傷は乾いていますね。あとは瘡蓋が取れて下の肉と皮膚が盛り上がれば元通りです。どうぞお大事に」
院長先生が最後にそう言って私たちを見送ってくださいました。
「チイスケ。バイバイ」
若い女性看護士さんも優しくお別れをしてくれました。短い間でしたが、チイスケがかわいがって貰えたことに、私はとても嬉しくなりました。

チイスケが退院してから一ヶ月、私はある定期刊行紙にK病院の院長先生のコラムを見つけました。
「病院に猫を連れて来る男性が以前よりも確実に増えた。概して男性は、人間の赤ちゃんに対するように大事に猫に接する方が多い。治療の方針を細かく訊くし、治療に関してどうして欲しいかをはっきり言う。どちらかと言うと女性飼主の方が淡白だ」
私の場合は猫の飼育経験が少なく、慌てふためき御迷惑をお掛け致しました。近年、猫の飼育頭数が増えているので、男性の飼主も必然増えただけかもしれません。猫を連れてK病院の門戸を叩く男性が増えている由、主任さんと私はその中の一人でした。
(続く)
以上
管理人
2014.10.25
’’三毛の子猫、11.02 新しい飼い主様が決まりました。’’
ありがとうございました。

'' 茶白の子猫 二匹、10.26.新しい飼い主さんが決まりました ’’

栃木 子猫 里親募集中 です
http://tochigi-wannyan.blog.so-net.ne.jp/2014-10-12-1
里親様募集 子猫 壱

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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