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東京猫物語 第五十三話 [「東京猫物語・外猫観察記」(管理人著・猫のお話)]

東京猫物語
第五十三話:社長直訴、飼猫宣言

年が明け、あっと言う間にそこかしこで春の息吹が感じられるようになりました。三月半ばには桜の木の芽が大きく膨らみ、猫町公園の改修工事はほぼ完了しました。園内の重機や廃材は撤去され、四月一日の再開を待つばかりです。公園が閉鎖された約半年の間、実際に工事が行われた日数は工期の四分の一にも及びません。施工業者は複数に渡り、どこかの業者の段取りが悪いと他の業者は次の工程へ進めませんでした。園内の植樹と遊具の新設は、本来の造成目的の範囲外ではないかと、市民の間で疑問符が打たれました。
この頃には、電気屋さんの倉庫に住み着いた三匹の仔猫たちは、麻雀屋さんたちよりも倉庫の主任さんたちに懐いていました。
主任さんと主任補さん、若い社員さん。この男性三人がとりわけ熱心に仔猫たちを世話しました。倉庫に出入りしている業者さんたち、配送関係の人たちも仔猫たちをかわいがりました。
麻雀屋さんたちは、決して仔猫たちを主任さんたちに押し付けるつもりはありませんでした。主任さんたちが自発的に仔猫たちをかわいがるようになったのは、心が欲した結果でした。

四月に入ると、猫町公園は再開されました。
せっかく仔猫たちを見守る体制が整い始めた矢先、一匹がいなくなってしまいました。タビと名付けられた一番人懐こい子です。ソックスを履いているように足先から足首迄が白く、茶(オレンジ)色の多い体との対比が鮮明でした。
「事故に遭っていなければいいけれど」
あちこちへ電話で問い合せたものの、それらしき猫の収容情報はありませんでした。朝に晩に仕事の合間にと、倉庫の主任さんたちを先頭に皆でタビを探しました。写真付きの捜索ビラを電柱に貼っても、「見掛けましたよ」という連絡は入りません。
「いなくなった猫が戻って来るおまじない」と言って、グラフィックデザイナーの若い娘さんはタビの寝床のダンボールに短冊を貼りました。
「たちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば 今かへりこむ」 
猫町病院の向かいの病院に通っていた年配の夫婦が、タビを歩道でじゃらしていた場面が頻繁に目撃されています。
「会社の人たちがかわいがっているから、ここにいる方が幸せなのかな」
以前、旦那さんが奥さんに話していた言葉を看護助士おばさんがしっかり聞き取っていました。タビがいなくなった後、その夫婦はぴたりと見掛けられなくなりました。真相は分かりません。
「あの夫婦が連れて行ったのかな?そうだとしたら、タビの世話をしている人たちがいると知っていたのだから、せめて一声掛けてくれたらよかったのに」
私たちは口を揃えて憤る一方、タビが戻って来ない以上、夫婦の愛情を受けて幸せに暮らしていることを願いました。
主任さんたちはたいそう悲しみました。
「残った二匹は、食事もトイレも自分たちが責任を以って世話をする。今度正式に会社の許可を取る」
電気屋の倉庫の主任さんは、皆の前で飼猫宣言しました。
主任さんの飼猫宣言を受け、私たちは相談しました。
「今後この仔猫たちへの関与は控え、何か大きな問題が起きた時だけ仔猫たちの後見人として主任さんたちを援助しましょう」
看護助士おばさんの提案に反対する人はいません。
麻雀屋さんの三人、電気屋さんの倉庫の三人、看護助士おばさん、グラフィックデザイナーの若い娘さん、私。皆で費用を分担し、猫たちの去勢手術を進めることになりました。
「間も無く生後十ヶ月でしょう?もう体が成長したから、去勢手術は問題無いって」
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仔猫たちの手術は斑猫おばさんの時と同様に、今回も看護助士おばさんの行き付けの動物病院で済ませました。
この動物病院のように、事情によっては特別価格で診療を請け負ってくれる獣医さんもいます。しかし、そんな獣医さんは多くありません。
「自分が手術する猫には完璧な処置を施したい。感染症の防止、麻酔、オペ、術後の経過観察迄。全てを完璧に行い、命に責任を持つ為にはそれなりの労力と費用が掛かる。サービスだと言って、それこそ猫も杓子も連れて来られてはねえ。本来飼主が負うべき責任を獣医に転嫁されては困るよ」
ある獣医さんが釈明しました。尤もな話です。
飼猫の不妊手術に助成金を出す自治体もあります。しかし、「個人が好きで飼う猫の不妊手術に、何故自治体が税金を投入するのか?」と、疑問視する意見もあります。助成金を出すなら飼主のいない外猫を第一とする意見にも、猫の判別や手続に関してややこしい問題もあって普及しません。
ワンダー 弐
電気屋の倉庫の主任さんは「どうしたら会社から猫の飼育許可が取れるだろうか」と思案していました。わざわざ本社へ出向くのも躊躇われます。
「そもそも誰に相談したらいいものか?」
主任さんは、毎月一度社長が倉庫を巡回視察することを思い出しました。そこで、主任さんはその機会を捉えて社長に直訴し、猫の飼育を認めて貰おうと考えました。猫たちが居着いた経緯、倉庫に鼠が出ると損害を被るので、猫がいると安心であること。社長の前で上手にアピールできるように、主任さんは話をまとめて何度も復誦しました。
いよいよ社長が倉庫を巡回する日が訪れました。今回は社長の父親でもある会長が、急遽同行することが前日倉庫に伝えられていました。主任さん以下、日頃猫たちの世話をしている二人の社員は特に緊張し、首尾よく大願成就するように心から祈りました。朝、社長たちを乗せた黒塗りの車が倉庫の前に到着しました。案内役の幹部社員、社長、会長が車を降り、倉庫の前に立ちました。主任さんは深々と頭を下げ、三人を倉庫の中に迎え入れました。一行は倉庫の入口に立つと、すぐに二匹の猫たちの存在に気が付きました。
「おお、猫がいるな」
社長が案内役の幹部社員に話し掛けました。
主任さんはこのタイミングを逃しませんでした。
主任さんは硬い表情を崩さず、猫たちが倉庫に居着いた経緯を訥訥と説明し始めました。
「この冬、隣の公園が、工事の為に閉鎖されまして。公園で暮らしていた仔猫たちが風邪をひき、近隣の人たちに頼まれてうちで保護しておりました」
主任さんがそこ迄言い終えるか終えないかの内に、社長が応えました。
「おお、そうか。これからも大切にかわいがってあげなさい」
「え?」主任さんは一瞬耳を疑いました。
「このグレーの長毛は、前にうちにいた奴に似ているな」
会長が横から会話に加わりました。
「そうそう」
社長が相槌を打ちながら主任さんを振り返って言いました。
「うちでもたくさん飼っているんだよ。家内も猫が好きでね。毛布は足りているか?何なら届けるぞ」
主任さんの緊張は一気に解れ、遠巻きに事の成り行きを見守っていた倉庫の人たちの輪にも安堵の溜息が漏れました。
「はい、宜しくお願い致します。このまま猫たちを置いておいても宜しいのですね?」
会長も社長も笑みを浮かべて頷きました。
「行く所無いのだろう?」
主任さんたちの心配とは裏腹に、あまりにも呆気なく猫の飼育許可は下りました。事前にあれこれ思案し、復誦していた台詞は殆ど口にされること無く倉庫の奥にしまわれました。社長のみならず、会長からもお墨付を頂いたので、主任さんたちは誰に憚ることなく猫の飼育を続けられるようになりました。
(続く)

以上
管理人
2014.09.20

「どこにでもいるような飼主のいない猫たち。彼らのことをよく知るほどに、きっと素敵な猫に魅せられるはず。飼主のいない外暮らしは、猫たちにとって決して楽ではありません。どうぞ、懐いたらお家に迎えてくださいね」

*東京猫物語は1998年から数年間、東京都心の某公園で猫たちを観察した体験に基づく実話です。

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